・・・ 今日は陰気な霧がジメジメ降っています。木も草もじっと黙り込みました。ぶなの木さえ葉をちらっとも動かしません。 ただあのつりがねそうの朝の鐘だけは高く高く空にひびきました。 「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」おしまいの・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
・・・彼女は、今日特別陰気で、唇をも動かさず口の中で、「いらっしゃいまし」と挨拶した。「岡本さんも一緒に召し上れよ」「はあ、私あちらでいただきますから」 陽子の部屋に比べると、海岸に近いだけふき子の家は明るく、眩ゆい位日光が溢・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ そして頗る愉快げな、晴々とした顔をして、陰気な灰色の空を眺めている。木村を知らないものが見たら、何が面白くてあんな顔をしているかと怪むことだろう。 顔を洗いに出ている間に、女中が手早く蚊を畳んで床を上げている。そこを通り抜けて、唐・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・おもえばあのように陰気で冷淡そうな方が僕のようなものを可愛がって下さるのは、不思議なようですが、ほんとうにそうなんでした。よく僕は奥さまの仰しゃる通りに、頭を胸へよせ掛けて、いつまでか抱れていると、ジット顔を見つめていながら色々仰ったその言・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・相手にそれだけ力と愛とが横溢していない時には、勢い愚痴は相手を弱め陰気にします。我々から愛を求めている者に対して我々の愚痴を聞かせるのはあまりに心なき業だと思います。 私たちは未来を知らない。未来に希望をかける事が不都合なら未来に失望す・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫