・・・私が私の視覚の、同時にまた私の理性の主権を、ほとんど刹那に粉砕しようとする恐ろしい瞬間にぶつかったのは、私の視線が、偶然――と申すよりは、人間の知力を超越した、ある隠微な原因によって、その妻の傍に、こちらを後にして立っている、一人の男の姿に・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・取って、鯰が出て、押えて、手で取りゃ可愛いし、足で取りゃ可愛いし、杓子ですくうて、線香で担って、燈心で括って、仏様のうしろで、一切食や、うまし、二切食や、うまし…… 紀州の毬唄で、隠微な残虐の暗示がある。むかし、熊野詣の・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 神イエスキリストをもて人の隠微たることを鞫き給わん日に於てである、其日に於て我等は人を議するが如くに議せられ、人を量るが如くに量らるるのである、其日に於て矜恤ある者は矜恤を以て審判かれ、残酷無慈悲なる者は容赦なく審判かるるのである、「我等・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・明治の女子教育と関係なき賤業婦の淫靡なる生活によって、爛熟した過去の文明の遠いきを聞こうとしているのである。この僅かなる慰安が珍々先生をして、洋服を着ないでもすむ半日を、唯うつうつとこの妾宅に送らせる理由である。已に「妾宅」というこの文字が・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・に描き出している市長夫人と、その娘とは、その間の隠微なものに何と鋭い針をさしているだろう。女としての咲きかかった花の美しさ、自覚の底に揺れ揺れている娘の感覚と、女としての夕やけの美しさ、見事さ、愁いと知慧のまじりあった動揺の姿とが、どんな人・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・ 科学精神における、こういうような、多種多様で且つ隠微な形のマイナスの侵入は実に危険であると思う。何故なら、科学性の客観的敗北は常にこの盲点を契機として行われ、しかもそれが敗北であることがどうしても自覚され得ないという危険をもっているか・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・には女性と芸術との厳しく隠微な関係さえとらえられ考えられうたわれている。 永瀬さんが今日の日本の女性の詩人として示している独特な美と力とは、女心が縷々として感じてうたう自然発生の魅力ばかりを鑑賞されることにたよっていないで、女が考える、・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・、というより、やや彌縫の策がとられたことは、その後の二三年間に他の事情とも絡んで文学を非文学的なものにする多くの危険の遠因となったとともに、今日、改めて人々の心に文学とは何であろうかの疑いを呼びおこす隠微な、しかも本質的な動機となっていると・・・ 宮本百合子 「人生の共感」
・・・ 平林さんは隠微な表現で書いておられるが、平林さんのような作家にでも、非人情という云い表わしは、人情と背馳するだけのものとして理解されるということに、私は反省も促されたし芸術上の興味も動かされた。 人情というものの内容やその理解、文・・・ 宮本百合子 「パァル・バックの作風その他」
出典:青空文庫