・・・楠ちゃんにも列席してもらいたいとは思いますが、遠方のことでもあり、それに万事内輪にと思いますから、おまえたち兄妹の総代として鶏ちゃんに出席してもらうことにします。 とうさんがこの新しい方針を選んで進もうとするのは、いろいろ前途を熟考した・・・ 島崎藤村 「再婚について」
・・・ 焼けない前の小竹の奥座敷を思出しながら今の部屋を見ると、江戸好みの涼しそうな団扇一本お三輪の眼には見当らなかった。あれも焼いてしまった、これも焼いてしまったと、惜しい着物のことなぞがつぎつぎにお三輪の胸に浮んで来る。彼女はまたよくそれ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・みんな内輪のものばかりですから」 とお力の方では言ったが、それを納めて貰わないことにはお三輪の気が済まなかった。盆暮の仕着せ、折々の心づけ――あの店のさかんな時分には、小竹の印絆纏や手拭まで染めさせて、どれ程多勢の人を悦ばせたことか。都・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・佐吉さんは、超然として、べつにお祭の晴着を着るわけでなし、ふだん着のままで、店の用事をして居ましたが、やがて、来る若者、来る若者、すべて派手な大浪模様のお揃いの浴衣を着て、腰に団扇を差し、やはり揃いの手拭いを首に巻きつけ、やあ、おめでとうご・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・もっと恥ずかしい内輪のものをさえ買ってもらった。けれどもそれが一体どうしたというのだ。私は貧しい医学生だ。私の研究を助けてもらうために、ひとりのパトロンを見つけたというのは、これはどうしていけないことなのか。私には父も無い、母も無い。けれど・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ 僕は聞えぬふりして卓のしたの団扇をとりあげ、ばさばさ使いはじめた。「あなた。私はまたひとりものですよ。」 僕は振りかえった。青扇はビイルをひとりでついで、ひとりで呑んでいた。「まえから聞こうと思っていたのですが、どうしたの・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・私は妻子と共に仏間へ行って、仏さまを拝んで、それから内輪の客だけが集る「常居」という部屋へさがって、その一隅に坐った。長兄の嫂も、次兄の嫂も、笑顔を以て迎えて呉れた。祖母も、女中に手をひかれてやって来た。祖母は八十六歳である。耳が遠くなって・・・ 太宰治 「故郷」
・・・故作家と生前、特に親交あり、いま、その作家を追慕するのあまり、彼の戯れにものした絵集一巻、上梓して内輪の友人親戚間にわけてやるなど、これはまた自ら別である。あかの他人のかれこれ容喙すべき事がらでない。 私は一読者の立場として、たとえばチ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・この婆さんから色々の客の内輪の話も聞かされた。盗賊が紳商に化けて泊っていた時の話、県庁の役人が漁師と同腹になって不正を働いた一条など、大方はこんな話を問わず語りに話した。中には哀れな話もあった。数年前の夏、二階に泊っていた若い美しい人の妻の・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・では、二人の女の髷の頂上の丸んだ線は、二人の襟と二つの団扇に反響して顕著なリズムを形成している。写楽の女の変な目や眉も、これが髷の線の余波として見た時に奇怪な感じは薄らいでただ美しい節奏を感じさせる。 顔の輪郭の線もまた重要な因子になっ・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
出典:青空文庫