・・・電燈の光が透いて見えるその葉うらの色は、私が夜になれば誘惑を感じた娘の家の近くの小公園にもあったのです。私はその娘の家のぐるりを歩いてはその下のベンチで休むのがきまりになっていました。(私の美に対する情熱が娘に対する情熱と胎を共にした双・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ 市三は、どれだけ、うら/\と太陽が照っている坑外で寝ころんだり、はねまわったりしたいと思ったかしれない。金を出さずに只でいくらでも得られる太陽の光さえ、彼は、滅多に見たことがなかった。太陽の値打は、坑内へ這入って、始めて、それにどれだ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・「うらア始めから、尋常を上ったら、もうそれより上へはやらん云うのに、お前が無理にやるせにこんなことになったんじゃ。どうもこうもならん!」 それは二月の半ば頃だった。谷間を吹きおろしてくる嵐は寒かった。薪を節約して、囲爐裏も焚かずに夜・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・ほら、来た。よ、もう一つ。ほうら。よ、ほら。」と、肉屋はあとから/\と何どとなく切ってはなげました。犬は、そのたんびに、ぴょいぴょいと上手にとって、ぱくぱく食べてしまいます。「おまいは、おれの店の肉をみんなくっていく気だな? さあ、もう・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・臆病者というものは、勇士と楯のうらおもてぐらいのちがいしかないものらしい。「いいえ。見たことがないわ。でもいま、そのかた、百花楼に居られるって。あなた、おともだち?」 私は、ほっと安心した。それでは、私のことだ。百花楼のおなじ名前の・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・ 鶴は、つかまえられて、そうして肉親の者たち、会社の者たちに、怒られ悲しまれ、気味悪がられ、ののしられ、うらみを言われるのが、何としても、イヤで、おそろしくてたまらなかった。 しかし、疲れている。 まだ、新聞には出ていない。・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ うつしみに きみのゑがきし をとめのゑ うらふりしけふ こころわびしき 右、春の花と秋の紅葉といずれ美しきという題にて。 よみ人しらず。 ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・という、長くゆるやかに引き延ばしたアダジオの節回しを聞いていると、眠いようなうら悲しいようなやるせのないような、しかしまた日本の初夏の自然に特有なあらゆる美しさの夢の世界を眼前に浮かばせるような気のするものであった。 これで対照されてい・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・残った種の数でうらないをする。思う事が成るかならぬかと云いながらクララが一吹きふくと種の数が一つ足りないので思う事が成らぬと云う辻うらであった。するとクララは急に元気がなくなって俯向いてしまった。何を思って吹いたのかと尋ねたら何でもいいと何・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・し髪しろくなりても親のある人もおほかるものをわれは親なし 母の三十七年忌にはふ児にてわかれまつりし身のうさは面だに母を知らぬなりけり 古書を読みて真男鹿の肩焼く占にうらとひて事あきらめし神代をぞ思ふ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫