・・・なり、ペダルに足をかけざるなり、ただ力学の原理に依頼して毫も人工を弄せざるの意なり、人をもよけず馬をも避けず水火をも辞せず驀地に前進するの義なり、去るほどにその格好たるやあたかも疝気持が初出に梯子乗を演ずるがごとく、吾ながら乗るという字を濫・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・正しく五母鶏、二母じぼていの実を演ずるものにして、之を評して獣行と言うより他に穏当の語はなかる可し。鶏とぶたは真実鳥獣なるが故に、五母二母孰れか妻にして孰れか妾なるや其区別もなく、又その間に嫉妬心も見えず権利論も起らざるが如くなれども、万物・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・其性行正しく妻に接して優しければ高運なれども、或は然らず世間に珍らしからぬ獣行男子にして、内君を無視し遊冶放蕩の末、遂には公然妾を飼うて内に引入れ、一家妻妾群居の支那流を演ずるが如き狂乱の振舞もあらば之を如何せん。従前の世情に従えば唯黙して・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・周旋奔走して、礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の芸を演ずるの傍ら、往々言うべからざる醜行に身・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ レニングラードとモスクワに二つあるのは、それは大人が子供のために演ずる芝居、職業的な専門家が演ずる。 非常に興味のある点は、そこで演ずる上演目録というものが、他の大人の劇場と同じソヴェト全体に取ってのその時の問題と密接に関連した主・・・ 宮本百合子 「ソヴェト・ロシアの素顔」
・・・を川上音二郎一座が演ずるのを見物した。五つ位の娘であった私の茫漠とした記憶の裡に、暗くて睡い棧敷の桝からハッと目をさまして眺めた明るい舞台に、貞奴のオフェリアが白衣に裾まである桃色リボンの帯をして、髪を肩の上にみだし、花束を抱いて立っていた・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・もっと機械的な、張りこの虎めいた勇ましい人物でも演ずるのであったら、その若い俳優はもっと空々しく、自分からつきはなし、型で、三流的まとまりのついた芝居をやったかもしれない。ところが、その俳優の役は、生活態度のふっきれない、決断のしにくい、社・・・ 宮本百合子 「俳優生活について」
・・・しかし初春の狂言には曽我を演ずるを吉例としてある。曽我は敵討で、敵を討てば人死のあることを免れない。況や鴎外漁史は一の抽象人物で、その死んだのは、児童の玩んでいた泥孩が毀れたに殊ならぬのだ。予は人の葬を送って墓穴に臨んだ時、遺族の少年男女の・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
出典:青空文庫