・・・「おかしなことになったぞ。」彼は云った。「この札は、栗島という一等看護卒が出したやつなんだ。俺れゃちゃんと覚えとる。五円札を出したんは、あいつだけなんだから、あいつがきっと何かやったんだな。」 彼は、自然さをよそおいつゝ人の耳によく・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・攻勢の華やかな時代にプロレタリア文学があって、敗北の闇黒時代に、それぞれちゃんと生きている労働者の生活を書かないのは、おかしな話だ。むしろ、こういう苦難の時代の労働者や農民の生活をかくことにこそ意義があるのではないか。 これも、しかし東・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・しかし今度は、前の日自分が腰掛けた岩としばらく隠れた大な岩とをやや久しく見ていたが、そのあげくに突然と声張り上げて、ちとおかしな調子で、「我は官軍、我が敵は」と叫び出して山手へと進んだ。山鳴り谷答えて、いずくにか潜んでいる悪魔でも唱い返した・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 「だって、あっしにも分らねえおかしなもんだからちょっと後学のために。」 「ハハハ、後学のためには宜かったナ、ハハハ。」 吉は客にかまわず、舟をそっちへ持って行くと、丁度途端にその細長いものが勢よく大きく出て、吉の真向を打たんば・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・だから、いろんなおかしなことばかり出て来ます。しかし、けっしてうそではありません。 そのころ或国の王さまに、美しい王女がありました。その王女を世界中の王さまや王子が、だれもかれもお嫁にほしがって、入りかわりもらいに来ました。 しかし・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・ 叔父がかず枝を連れてかえって、叔父の家に引きとり、「かず枝のやつ、宿の娘みたいに、夜寝るときは、亭主とおかみの間に蒲団ひかせて、のんびり寝ていた。おかしなやつだね。」と言って、首をちぢめて笑った。他には、何も言わなかった。 こ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・博識の人が、おのれの知識を機会ある毎に、のこりなく開陳するというのは、極めて自然の事で、少しも怪しむに及ばぬ筈であるが、世の中は、おかしなもので、自己の知っている事の十分の一以上を発表すると、その発表者を物知りぶるといって非難する。ぶるので・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ 到底分らないような複雑な事は世人に分りやすく、比較的簡単明瞭な事の方が却って分りにくいというおかしな結論になる訳であるが、これは「分る」という言葉の意味の使い分けである事は勿論である。 アインシュタインの仕事の偉大なものであり、彼・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・上衣を脱いでシャツばかりの胸に子供をシッカリ抱いて、おかしな声を出しながら狭い縁側を何遍でも行ったり来たりする。そんな時でも恐ろしく真面目で沈鬱で一心不乱になっているように見える。こちらの二階で話し声がしていても少しも目もくれず、根気よく同・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・「ほんとうにおかしな人。私あの顔嫌いや」「おもしろい役者じゃないか」 大切の越後獅子の中ほどへくると、浅太郎や長三郎の踊りが、お絹の目にも目だるっこく見えた。 川端へ出ると、雨が一雫二雫顔に当たって、冷やかな風がふいていた。・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫