・・・なんだかこの夫婦者の前へ出むく気がしなかったのである。「お出なはれな」 再び声が来た。 すると、もう私は断り切れず、雨戸のことで諒解を求める良い機会でもあると思い、立って襖をあけた。 その拍子に、粗末な鏡台が眼にはいった。背・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・「焼跡で花を売る少女」などという、いわゆる美談佳話製造家の流儀に似てはいないだろうか。 蛍の風流もいい。しかし、風流などというものはあわてて雑文の材料にすべきものではない。大の男が書くのである。いっそ蛍を飛ばすなら、祇園、先斗町の帰り、・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・それには年老った主人夫婦も当惑して「それでは今晩一晩だけだったら都合しましょう」と云うことにきまったが、併し彼の長女は泣きやまない。「ね、いゝでしょう? それでは今晩だけこゝに居りますからね。明日別の処へ行きますからね、いゝでしょう? ・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 彼ら二人は実にいい夫婦なのである。 彼らは家の間の一つを「商人宿」にしている。ここも按摩が住んでいるのである。この「宗さん」という按摩は浄瑠璃屋の常連の一人で、尺八も吹く。木地屋から聞こえて来る尺八は宗さんのひまでいる証拠である。・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ 少年が少女を橇に誘う。二人は汗を出して長い傾斜を牽いてあがった。そこから滑り降りるのだ。――橇はだんだん速力を増す。首巻がハタハタはためきはじめる。風がビュビュと耳を過ぎる。「ぼくはおまえを愛している」 ふと少女はそんな囁きを・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・明け放したる障子に凭りて、こなたを向きて立てる一人の乙女あり。かの唄の主なるべしと辰弥は直ちに思いぬ。 顔は隔たりてよくも見えねど、細面の色は優れて白く、すらりとしたる立姿はさらに見よげなり。心ともなくこなたを打ち仰ぎて、しきりにわれを・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・毛は肩にたれて、まっ白な花をさした少女やそのほか、なんとなく気恥ずかしくってよくは見えませんでした、ただ一様に清らかで美しいと感じました。高い天井、白い壁、その上ならず壇の上には時ならぬ草花、薔薇などがきれいな花瓶にさしてありまして、そのせ・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・を思えば悲しいともうれしいとも申しようなき感これありこれ必ず悲喜両方と存じ候、父上は何を申すも七十歳いかに強壮にましますとも百年のご寿命は望み難く、去年までは父上父上と申し上げ候を貞夫でき候て後われら夫妻がいつとなく祖父様とお呼び申すよう相・・・ 国木田独歩 「初孫」
一人の男と一人の女とが夫婦になるということは、人間という、文化があり、精神があり、その上に霊を持った生きものの一つの習わしであるから、それは二つの方面から見ねばならぬのではあるまいか。 すなわち一つは宇宙の生命の法則の・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・といって、十四、五の少女では相手になれまい。 八 最後の立場――運命的恋愛 しかしこうした希望はすべて運命という不可知な、厳かなものを抜きにして、人間的規準をもって、きわめて一般的な常識的な、立言をしているにすぎない・・・ 倉田百三 「学生と生活」
出典:青空文庫