・・・私の親父も薬取りでした。そして、命がけで取って薬を売って歩いて、一生を貧乏で送りました。私も子供の時分から山々へ上がって、どこのがけにはなにがはえているとか、またどこの谷にはなんの草が、いつごろ花を咲いて、実を結ぶかということをよく知ってい・・・ 小川未明 「手風琴」
・・・ 二郎さんは、ひったくるようにねこを受け取りながら、「やな親父だな、飼ってもらわなくていいよ。」といいました。 この権幕におそれて、きみ子さんは、逃げていってしまいました。「どうせ、こんなことだろうと思った。」と、二郎さんが・・・ 小川未明 「僕たちは愛するけれど」
・・・私と同じようにおおかた午の糧に屈托しているのだろう。船虫が石垣の間を出たり入ったりしている。 河岸倉の庇の下に屋台店が出ている。竹輪に浅蜊貝といったような物を種にして、大阪風の切鮨を売っている。一銭に四片というのを、私は六片食って、何の・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・吉新の主の新造というのは、そんな悪でもなければ善人でもない平凡な商人で、わずかの間にそうして店をし出したのも、単に資本が充分なという点と、それに連れてよそよりは代物をよく値を安くしたからに過ぎぬので、親父は新五郎といって、今でもやっぱり佃島・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・んであった本が或は自分の眼に、女の姿と見えたのではないかと多少解決がついたので、格別にそれを気にも留めず、翌晩は寝る時に、本は一切片附けて枕許には何も置かずに床に入った、ところが、やがて昨晩と、殆んど同じくらいな刻限になると、今度は突然胸元・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・これは女も同じだった。女の唇はおまけに著しく歪んでいた。それに、女の斜眼は面と向ってみると、相当ひどく、相手の眼を見ながら、物を言う癖のある私は、間誤つかざるを得なかった。 暫らく取りとめない雑談をした末、私は機を求めて、雨戸のことを申・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・「……そんなわけで、下肥えのかわりに置いて行かれたけど、その日の日の暮れにはもう、腫物の神さんの石切の下の百姓に預けられたいうさかい、親父も気のせわしい男やったが、こっちもこっちで、八月でお母んのお腹飛びだすぐらいやさかい、気の永い方や・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・誰か同じく脚に傷を負って、若くは腹に弾丸を有って、置去の憂目を見ている奴が其処らに居るのではあるまいか。唸声は顕然と近くにするが近処に人が居そうにもない。はッ、これはしたり、何の事た、おれおれ、この俺が唸るのだ。微かな情ない声が出おるわい。・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 子供も同じように悲しそうな苦笑を浮べて云った。…… 狭い庭の隣りが墓地になっていた。そこの今にも倒れそうになっている古板塀に縄を張って、朝顔がからましてあった。それがまた非常な勢いで蔓が延びて、先きを摘んでも摘んでもわきから/・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・なるほどそんな風に考えたのか、火鉢の傍を離れて自分はせっせと復習をしている、母や妹たちのことを悲しく思いだしているところへ、親父は大胡座を掻いて女のお酌で酒を飲みながら猿面なぞと言って女と二人で声を立てて笑う、それが癪に障ったのはむりもない・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
出典:青空文庫