・・・と、U氏はYの悔悛に多少の同情を寄せていたが、それには違いなくても主人なり恩師なりの眼を掠めてその最愛の夫人の道ならぬ遊戯のオモチャになったYの破廉恥を私は憤らずにはいられなかった。Yは私の門生でも何でもなかった。が、日夕親しく出入して・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 二葉亭の恩師古川常一郎も交友間に聞えた食道楽であった。かつて或る暴風雨の日に俄に鰻が喰いたくなって、その頃名代の金杉の松金へ風雨を犯して綱曳き跡押付きの俥で駈付けた。ところが生憎不漁で休みの札が掛っていたので、「折角暴風雨の中を遥々車・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・の筆者が、戦後には、まことに突如として、内村鑑三先生などという名前が飛び出し、ある雑誌のインターヴューに、自分が今日まで軍国主義にもならず、節操を保ち得たのは、ひとえに、恩師内村鑑三の教訓によるなどと言っているようで、インターヴューは、当て・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・あげるほどの吾が自転車との衝突は、おやじの遺言としても避けねばならぬ、と云って左右へよけようとすると御両君のうちいずれへか衝突の尻をもって行かねばならん、もったいなくも一人は伯爵の若殿様で、一人は吾が恩師である、さような無礼な事は平民たる我・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・私は私を育ててくれた両親、かずかずの恩師、諸先生たちに正直であれと教えられてきた。そして私もそのように生きてきた。真実を愛し、正義を愛して生きてきました。ところが八月一日無実の罪によって逮捕され、八月二十八日起訴されたのであります。すなわち・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・前線で戦死したことを息子の余栄として、皇后の巻かれた繃帯で、わが良人、わが子のもがれた手足がくるまれ、目しいた眼が包まれることで、日本の女性の苦悩と疑惑とが感涙によって洗い流されなければならなかった。恩賜の義足、恩賜の義手、何という惨酷な、・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・携帯品預所の台の上へ短剣を脱して出した栖方は、剣の柄のところに菊の紋の彫られていることを梶に云って、「これ僕んじゃないのですが、恩賜の軍刀ですよ。他人のを借りて来たんです。もうじき、僕も貰うもんですから。」 子供らしくそう云いながら・・・ 横光利一 「微笑」
・・・やがてこの光が恩賜の時計の光となった。この美しい情は「愛」の上にたつ人の身の霊的興奮である。吾人は「愛」に重きを置く、公爵家の若君は母堂を自動車に載せて上野に散策し、山奥の炭焼きは父の屍を葬らんがために盗みを働いた。いずれが孝子であるか、今・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫