・・・思うにこの田中君のごときはすでに一種のタイプなのだから、神田本郷辺のバアやカッフェ、青年会館や音楽学校の音楽会兜屋や三会堂の展覧会などへ行くと、必ず二三人はこの連中が、傲然と俗衆を睥睨している。だからこの上明瞭な田中君の肖像が欲しければ、そ・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・眼を瞑ったようなつもりで生活というものの中へ深入りしていく気持は、時としてちょうど痒い腫物を自分でメスを執って切開するような快感を伴うこともあった。また時として登りかけた坂から、腰に縄をつけられて後ざまに引き下されるようにも思われた。そうし・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・今でこそ樟脳臭いお殿様の溜の間たる華族会館に相応わしい古風な建造物であるが、当時は鹿鳴館といえば倫敦巴黎の燦爛たる新文明の栄華を複現した玉の台であって、鹿鳴館の名は西欧文化の象徴として歌われたもんだ。 当時の欧化熱の中心地は永田町で、こ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・さすがに剛情我慢の井上雷侯も国論には敵しがたくて、終に欧化政策の張本人としての責を引いて挂冠したが、潮の如くに押寄せると民論は益々政府に肉迫し、易水剣を按ずる壮士は慷慨激越して物情洶々、帝都は今にも革命の巷とならんとする如き混乱に陥った。・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・なるほどここにも学校が建った、ここにも教会が建った、ここにも青年会館が建った、ドウして建ったろうといってだんだん読んでみますと、この人はアメリカへ行って金をもらってきて建てた、あるいはこの人はこういう運動をして建てたということがある。そこで・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・これが芸術の真の吾等に与える快感であろう。私は、この権威ある快感を何よりも尊く嬉しく思うのである。 私は、さま/″\の忘れられた懐しい夢を、もう一度見せてくれる、また心を、不可思議な、奥深い怪奇な、感情の洞穴に魅しくれる、此種の芸術に接・・・ 小川未明 「忘れられたる感情」
・・・ ところが、その年も押しつまったある夜、紙芝居をすませて帰ってきますと、今里の青年会館の前に禁酒宣伝の演説会の立看板が立っていたので、どんなことを喋るのか、喋り方を見てやろうと思いながら、はいって聴きました。そして、二人目の講師の演説が・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・なんだい、継母じゃないかという眼で玉子を見て、そして、大宝寺小学校へ来年はいるという年ごろの新次を掴えて、お前は継子だぞと言って聴かせるのに、残酷めいた快感を味っていた。浜子のいる時分、あんなに羨しく見えた新次が今ではもう自分と同じ継子だと・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・払戻の窓口へさし込んだ手へ、無造作に札を載せられた時の快感は、はじめて想いを遂げた一代の肌よりもスリルがあり、その馬を教えてくれた作家にふと女心めいた頼もしさを感じながら、寺田はにわかにやみついて行った。 小心な男ほど羽目を外した溺れ方・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・そして、自分を汚なくしながら、自虐的な快感を味わっているようだった。 しかし、彼とても人並みに清潔に憧れないわけではない。たとえば、銭湯が好きだった。町を歩いていて銭湯がみつかると、行き当りばったりに飛び込んで、貸手拭で汗やあぶらや垢を・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
出典:青空文庫