・・・を放解して国邑に帰えすの令を出したるとき、江戸定府とて古来江戸の中津藩邸に住居する藩士も中津に移住し、かつこの時には天下多事にして、藩地の士族も頻りに都会の地に往来してその風俗に慣れ、その物品を携えて帰り、中津へ移住する江戸の定府藩士は妻子・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 今前条に示したる家内に返りてこれを論ぜん。この家内の有様は外を以て内を制し、公を以て私を束縛するものなり。主人の常言に家内安全を主とし質素正直を旨とするはすこぶる有力なる教えにして、然もこの教えは、世間道徳の門においても常に喋々して人・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・あの時はまだお父う様がお亡くなりなすって、お母あ様がお里へお帰りになった当座でございましたのね。それだもんですから、イソダンであなたの御交際なさることの出来ましたのは、御両親を存じていたわたくしだけでございましたわ。 大切なる友よ。あの・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・(家来ランプを点して持ち来り、置いて帰り行ええ、またこの燈火が照すと、己の部屋のがらくた道具が見える。これが己の求める物に達する真直な道を見る事の出来ない時、厭な間道を探し損なった記念品だ。この十字架に掛けられていなさる耶蘇殿は定めて身に覚・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・今より曙覧の歌のみならで其心のみやびをもしたひ学ばや、さらば常の心の汚たるを洗ひ浮世の外の月花を友とせむにつきつきしかるべしかし、かくいふは参議正四位上大蔵大輔源朝臣慶永元治二年衣更著末のむゆか、館に帰りてしるす 曙覧が清貧に処して・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・そこで自分に返りて考えて見た。考えて見ると今まで木の影を離れる事が出来ぬので同じ小道を往たり来たりして居る、まるで狐に化されたようであったという事が分った。今は思いきって森を離れて水辺に行く事にした。 海のような広い川の川口に近き処を描・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・ しばらくたって私たちはみんなでそれを持って学校へ帰りました。そしてさっきも申しましたようにこれは昨日のことです。今日は実習の九日目です。朝から雨が降っていますので外の仕事はできません。うちの中で図を引いたりして遊ぼうと思うのです。これ・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ わたくしはすこしむっとしてふり返りましたら給仕はまた威張って云いました。「所長さんがすぐ来いって。」 わたくしは返事もしないでだまってみんなの椅子のうしろを通り、例の扉をあけて恭しくはいって行きました。 所長は肥った白い手・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・「お帰り。」女は「だって……」と了解しかねていうと良人は昂奮し、「ここへ来て、そんな問題がどう片づくというんだ。そんなことで部署をすてて、それでこれからどうするというんだ?」「だって――だって――」彼女も亢奮して一生懸命だった。・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・裏は、人力車一台やっと通る細道が曲りくねって、真田男爵のこわい竹藪、藤堂伯爵の樫の木森が、昼間でも私に後を振返り振返りかけ出させた。 袋地所で、表は狭く却って裏で間口の広い家であったから、勝ち気な母も不気味がったのは無理のない事だ。又実・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
出典:青空文庫