・・・「軍司令官閣下の烱眼には驚きました。」 旅団副官は旅団長へ、間牒の証拠品を渡しながら、愛嬌の好い笑顔を見せた。――あたかも靴に目をつけたのは、将軍よりも彼自身が、先だった事も忘れたように。「だが裸にしてもないとすれば、靴よりほか・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 第一の手紙 ――警察署長閣下、 先ず何よりも先に、閣下は私の正気だと云う事を御信じ下さい。これ私があらゆる神聖なものに誓って、保証致します。ですから、どうか私の精神に異常がないと云う事を、御信じ下さい。さもない・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・の略称、御出張とは、特に男爵閣下にわれわれ平民ないし、平ザムライどもが申し上げ奉る、言葉である。けれどもが、さし向かえば、些の尊敬をするわけでもない、自他平等、海藻のつくだ煮の品評に余念もありません。「戦争がないと生きている張り合いがな・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・ 然し母と妹との節操を軍人閣下に献上し、更らに又、この十五円の中から五円三円と割いて、母と妹とが淫酒の料に捧げなければならぬかを思い、さすがお人好の自分も頗る当惑したのである。 酒が醒めかけて来た! 今日はここで止める。 五月六・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・「ユフカは、たしかに司令官閣下の命令通り、パルチザンばかりの巣窟でありました――そう云います。」 活溌な伝令が、出かける前、命令を復唱した、小気味のよい声を隊長は思い出していた。「うむ、そうだ。」彼は肯いて見せたのだった。「それ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・数え、戻り路は角の歌川へ軾を着けさせ俊雄が受けたる酒盃を小春に注がせてお睦まじいとおくびより易い世辞この手とこの手とこう合わせて相生の松ソレと突きやったる出雲殿の代理心得、間、髪を容れざる働きに俊雄君閣下初めて天に昇るを得て小春がその歳暮裾・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ と思っていたら、果して、その講話のおわりにアナウンサアが、その、あいつの名前を、閣下という尊称を附して報告いたしました。老博士は、耳を洗いすすぎたい気持になりました。その、あいつというのは、博士と高等学校、大学、ともにともに、机を並べて勉・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ちがうと首をふったが、その、冷く装うてはいるが、ドストエフスキイふうのはげしく錯乱したあなたの愛情が私のからだをかっかっとほてらせた。そうして、それはあなたにはなんにも気づかぬことだ。 私はいま、あなたと智慧くらべをしようとしているので・・・ 太宰治 「川端康成へ」
・・・私はたと困惑、濡れ鼠のすがたのまま、思い設けぬこの恥辱のために満身かっかっとほてって、蚊のなくが如き声して、いま所持のお金きっちり三十銭、私の不注意でございました。なんとか助けて下さい、と懇願しても、その三十歳くらいの黄色い歯の出た痩せこけ・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・昔、昔、ギリシャ詩人タチ、ソレカラ、ボオドレエル、ヴェルレエヌ、アノ狡イ爺サンゲエテ閣下モ、アア、忘レルモノカ芥川龍之介先生ハ、イノチ迄。 ケレドモ、所詮、有閑ノ文字、無用ノ長物タルコト保証スル、飽食暖衣ノアゲクノ果ニ咲イタ花、コノ花ビ・・・ 太宰治 「走ラヌ名馬」
出典:青空文庫