・・・私は小説というものを間違って考えているのであろうか、と思案にくれて、いや、そうで無いと打ち消してみても、さて、自分に自信をつける特筆大書の想念が浮ばぬ。確乎たる言葉が無いのだ。のどまで出かかっているような気がしながら、なんだか、わからぬ。私・・・ 太宰治 「鴎」
・・・殿様が、御自分の腕前に確乎不動の自信を持っていたならば、なんの異変も起らず、すべてが平和であったのかも知れぬが、古来、天才は自分の真価を知ること甚だうといものだそうである。自分の力が信じられぬ。そこに天才の煩悶と、深い祈りがあるのであろうが・・・ 太宰治 「水仙」
・・・という一句が詩のルフランのように括弧でくくられて書かれていた。いったい、ひとりの青年とは誰のことなんだとそのじぶん楽壇でひそひそ論議されたものだそうであるが、それは、馬場であった。馬場はヨオゼフ・シゲティと逢って話を交した。日比谷公会堂での・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ 意外な事には、此の手紙のところどころに、先輩の朱筆の評が書き込まれていた。括弧の中が、その先輩の評である。 ――○○兄。生涯にいちどのおねがいがございます。八方手をつくしたのですがよい方法がなく、五六回、巻紙を出したり、ひっこめた・・・ 太宰治 「誰」
・・・以下はその座談筆記の全文であって、ところどころの括弧の中の文章は、私の蛇足にも似た説明である事は前回のとおりだ。 なに、むずかしい事はありません。つまらぬ知識に迷わされるからいけない。女は、うぶ。この他には何も要らない。田舎でよく見・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・私は、そのときは、自分自身を落ちついている、と思っていた。確乎たる自信が、あって、もっともらしい顔をして、おごそかな声で、そう言ったつもりなのであるが、いま考えてみると、どうしても普通でない。謂わば、泰然と腰を抜かしている類かも知れなかった・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・たとえば、ある一つの現象がたくさんの因子の共存的効果によって決定される場合に、いかにして各個の因子の個々の影響を分析すべきかというような問題に対するいろいろの方法が示されている。そういう場合にこの方法の中から、あらゆる具体的なものを取り去っ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・そして花片の散り落ちるように、また漏刻の時を刻むように羯鼓の音が点々を打って行くのである。 ここが聞きどころつかまえどころと思われるような曲折は素人の私には分らない。しかしそこには確かに楽の中から流れ出て地と空と人の胸とに滲透するある雰・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・。。。。括弧の中が一シラブルである。これらは少しの読み方で七五調に読めば読まれなくはない。 サンスクリトの詩句にも色々の定型があるようであるが、十六綴音を一句とするものの連続が甚だ多いらしい。それを少し我儘な・・・ 寺田寅彦 「短歌の詩形」
・・・第一に種々の個体の集団からできた一つの系を考える時、その個体各個のエントロピーの時計の歩調は必ずしも系全体のものの歩調と一致しない。従って個体相互の間で「同時」という事がよほど複雑な非常識的なものになってしまう。しかしそこにまたこの時計の妙・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
出典:青空文庫