・・・ わたしの心の火に、藤田嗣治のおかっぱの顔が浮んだ。彼の出発は、何だか特別な感じだった。飛行機でとび立つその日まで、ひたかくしにかくされていて、その日にとられた写真での彼の表情は、まるで一刻も早く飛行機のエンジンがまわりだすのを待ちかね・・・ 宮本百合子 「手づくりながら」
・・・しかし、レーニンは喝破している。「一体人は何か全く特別なものを考え出そうと努力すると、その熱心のあまり馬鹿げたことに陥るのである」と。また「環境と人間的活動との変化の合致、あるいは自己変革は、ただ革命的実践としてのみとらえられ、且つ合理的に・・・ 宮本百合子 「同志小林の業績の評価に寄せて」
・・・赤帽と、合羽を着た数人の俥夫が我々をとり巻いた。「お宿はどこです」「お俥になさいますか」「――ふむ――まだ宿をきめていないんだが、長崎ホテル、やっていますか」「あすこはもう廃めました」 すると、俥夫達の背後に立ち、頻りに・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・の作者があり、つづいて麦と土と花と兵隊の作者があり、やがて河童の「魚眼記」が現れている。この過程に何が語られているだろう。「土と兵隊」の作者に「魚眼記」の現れたのは誰そのひとだけにかかわった現実であって、私たちには他人のことだと云えるのだろ・・・ 宮本百合子 「日本の河童」
・・・ パカッカッ……カッパ……カッ……パカッカッ……。 せわしい斧の妙な合奏。 樵夫の鈍い叫声に調子づけるように、泥がブヨブヨの森の端で、重荷に動きかねる木材を積んだ荷馬を、罵ったり苛責したりする鞭の音が鋭く響く。 ト思うと、日・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・の中でマルクスの心を打ったほど鋭く現実の資本主義商業の成り立ちを喝破していることと撞着するものでないというのが、バルザックの花車を押し出した一部のプロレタリア作家・理論家たちの論拠であったと見られるのである。 ところで、ここに一つの私達・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ 藍子は、朝飯をすますと直ぐ、合羽足駄に身をかためて家を出た。偶然の雪が却って彼女に興を与えた。生来雪好きの藍子は電車の上り口に、誰かの足駄から落ちた一かたまりの雪が、ほんの僅か白くあとは泥に滲んで落ちているのにまで新鮮な印象を受けた。・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・おかっぱで、元禄の被布を着て、うめは器量の悪い娘ではなかったが、誰からも本当に可愛がられることのない娘であった。蒼白い顔色や、変にませた言葉づかいが、育たないうちにしなびた大人のような印象を与えた。年寄りの祖母に、遊び仲間もなく育てられてい・・・ 宮本百合子 「街」
・・・ おかっぱの金色の髪がもしゃもしゃになって汗を掻いた額にくっついている。自分は困って、「安心してらっしゃいよ。ね。ここにいれば大丈夫なんだから……気を落付けなさい」 医師は脈を見た。「あなたは初産だから、ほかの人より時間がか・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
・・・ターニャはその時、おかっぱを活溌にふりながら、自習時間がやかましいことや、自治に対してみんなが無責任だ。いたずらに外套をかくしたり本をかくしたりする者もある。我々はそんな子供なのか? というようなことを話したのだ。ターニャも学生委員の一人な・・・ 宮本百合子 「ワーニカとターニャ」
出典:青空文庫