・・・それをがつがつと齧ると、ほんとうに胸が清々した。ほっとしたが、同時に夜が心配になりだした。夜になれば、また雨戸が閉って、あの重く濁った空気を一晩中吸わねばならぬのかと思うと、痩せた胸のあたりがなんとなく心細い。たまらなかった。 夜雨戸を・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・何か被りたくも被る物はなし。責て早く夜になとなれ。こうだによってと、これで二晩目かな。 などと思う事が次第に糾れて、それなりけりに夢さ。 大分永く眠っていたと見えて、眼を覚してみればもう夜。さて何も変った事なし、傷は痛む、隣のは・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・いやに気位を高くして、家が広いから、それにどうせ遊んでいる身体、若いものを世話してやるだけのこと、もっとも性の知れぬお方は御免被るとの触込み。 自体拙者は気に入らないので、頻りと止めてみたが、もともと強情我慢な母親、妹は我儘者、母に甘や・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ただ汚ないばかりでなく、見るからして彼ははなはだやつれていた、思うに昼は街の塵に吹き立てられ、夜は木賃宿の隅に垢じみた夜具を被るのであろう。容貌は長い方で、鼻も高く眉毛も濃く、額は櫛を加えたこともない蓬々とした髪で半ばおおわれているが、見た・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・先生はこの頃になって酒を被ること益々甚だしく倉蔵の言った通りその言語が益々荒ら荒らしくその機嫌が愈々難かしくなって来た。殊に変わったのは梅子に対する挙動で、時によると「馬鹿者! 死んで了え、貴様の在るお蔭で乃公は死ぬことも出来んわ!」とまで・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・文徳実録に見える席田郡の妖巫の、その霊転行して心をくらい、一種滋蔓して、民毒害を被る、というのも心の二字が祇尼法の如く思えるところから考えると、なかなか古いもので、今昔物語に外術とあるものもやはり外法と同じく祇尼法らしいから、随分と索隠行怪・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・と鉄被る剛き手を挙げて馬の尻をしたたかに打つ。「呪われた」とウィリアムは馬と共に空を行く。 ウィリアムの馬を追うにあらず、馬のウィリアムに追わるるにあらず、呪いの走るなり。風を切り、夜を裂き、大地に疳走る音を刻んで、呪いの尽くる所まで走・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・故意に俺は夏帽を被るといった日にはよほど奇人となる。私のここにインデペンデントというのは、この故意を取り除ける。次には奇人を取り除ける。気が付かないのも勘定の中に這入らない。それじゃあどういうのがインデペンデントであるか。人間は自然天然に独・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・坊主の除れたフランスのセーラーの被る毛糸帽子。印度の何とか称する貴族で、デッキパッセンジャーとして、アメリカに哲学を研究に行くと云う、青年に貰った、ゴンドラの形と金色を持った、私の足に合わない靴。刃のない安全剃刀。ブリキのように固くなったオ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・男女同様婬乱なれば離縁せらるゝとあれば、男子として離縁の宣告を被る者は女子に比較して大多数なる可し。然るに本書には特に女子の婬乱を以て離縁の理由とす。亦是れ方角違いの沙汰と言う可きのみ。第四悋気深ければ去ると言う。是れ亦解す可らず。夫婦家を・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫