・・・花冠の美しさだけでなくて花萼から葉から茎までが言葉では言えないような美しい色彩の配合を見せていたように思う。観賞植物として現代の都人にでも愛玩されてよさそうな気のするものであるが、子供のとき宅の畑で見たきりでその後どこでもこの花にめぐり合っ・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・ すべての歌人の取材の範囲やそれに対する観照の態度は、誰でも年を追って自然の変遷を経るもののように見える。しかしそういうものがどんなに変っても、同じ作者の「顔」は存外変らぬもののように思われる。歌を専門的に研究している人達の分析的な細か・・・ 寺田寅彦 「宇都野さんの歌」
・・・しかしこういう議論は映画理論家にとって、また特にソビエトの国是の上から重要かもしれないが、一般映画観賞者の立場からは、たいした意義をもたない事である。われわれにとってはその映画がおもしろいことが第一義である。八巻なり十巻なりの映写を退屈する・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・そうでないときは作者の一人合点に陥って一般鑑賞者の理解を得ることは困難である。 映画と夢 以上のごとく考えて来るとわれわれは自然に映画と夢との比較を暗示される。 夢の中に現われる雑多な心像は一見はなはだ突飛なもの・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ どこにもあくどいところやうるさいところがなくて上へ上へと盛り上がって行くような全篇の構成を観賞しつつ享楽することが出来るようである。 二 家なき児 これもなかなか美しい映画であるが、前の「永遠の緑」などとはま・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・の演奏を写したものであったが、これを見ながら聴きながら考えたことは、自分がベルリンへ行って実地に臨むよりもこうした映画で鑑賞する方が十倍も百倍も面白いのではないかということであった。第一、実地ではこんなに演奏者を八方から色々の距離と角度で眺・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・をその与えられたる限りにおいて観賞することに努力すべきであろう。 四「アフリカは語る」を一見した。この種の実写映画は何度同じようなものを見せられても見るたびに新しい興味を呼びさまされるのであるが、今度のはそれ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・もしそうだとすれば日本人は彼の映画を鑑賞する際に、アメリカ人や、ドイツ人には許されない特等席の一部を占有した形になるのである。「百万両」にはなんとなく諧調の統整といったようなものが足りなくて、違った畑のものが交じっているような気がしたが・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 病犬を射殺するやや感傷的な場面がある。行きには人と犬との足跡のついた同じ道を帰りはただ人だけが帰ってくるのである。安価な感傷と評した人もあったがしかしそれがかなりな真実味をもって表現されている。殺す相談をして雪の中に立っている四人の姿・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 滅びた主家の家臣らが思い思いに離散して行く感傷的な終末に「荒城の月」の伴奏を入れたのは大衆向きで結構であるが、城郭や帆船のカットバックが少しくど過ぎてかえって効果をそぐ恐れがありはしないか。自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
出典:青空文庫