・・・蜀黍が少しがさがさと鳴るように聞えた。太十は蚊帳を透して見た。其時月はすべてが熟睡した頃とこっそり姿を現わしかけて居た。畑がほのかに明るくなりかけた。太十は動くものを認めた。彼の怒は彼の全心を掩うた。彼は後の方からそっと蚊帳を出た。尚前方を・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・それからまた暫く歩いていると、路傍の荊棘の中でがさがさという音がしたので、余は驚いた。見ると牛であった。頭の上の方の崖でもがさがさという、其処にも牛がいるのである。向うの方がまたがさがさいうので牛かと思うて見ると今度は人であった。始て牛飼の・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 籠の鶉もまだ昼飯を貰わないのでひもじいと見えて頻りにがさがさと籠を掻いて居る。 台所では皿徳利などの物に触れる音が盛んにして居る。 見る物がなくなって、空を見ると、黒雲と白雲と一面に丑寅の方へずんずんと動いて行く。次第に黒雲が・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・ がさがさした、けれども親切そうな、大人の声が、二人のうしろで聞えました。 それは、茶いろの少しぼろぼろの外套を着て、白い巾でつつんだ荷物を、二つに分けて肩に掛けた、赤髯のせなかのかがんだ人でした。「ええ、いいんです。」ジョバン・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・それがこんながさがさしたことで。諸君。演奏までもうあと十日しかないんだよ。音楽を専門にやっているぼくらがあの金沓鍛冶だの砂糖屋の丁稚なんかの寄り集りに負けてしまったらいったいわれわれの面目はどうなるんだ。おいゴーシュ君。君には困るんだがなあ・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・という声がして、それからがさがさ鳴りました。 室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。 見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・ 中山街道はこのごろは誰も歩かないから蕗やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁げて登らないように柵をみちにたてたりしているけれどもそこをがさがさ三里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているような音がする。気をつけてそっちを見ると何だか・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・ そこへ隣りの教員室から、黒いチョッキだけ着た、がさがさした茶いろの狐の先生が入って来て私に一礼して云いました。「武田金一郎をどう処罰いたしましょう。」 校長は徐ろにそちらを向いてそれから私を見ました。「こちらは第三学年の担・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・けれども虫がしんしん鳴き時々鳥が百疋も一かたまりになってざあと通るばかり、一向人も来ないようでしたからだんだん私たちは恐くなくなってはんのきの下の萱をがさがさわけて初茸をさがしはじめました。いつものようにたくさん見附かりましたから私はいつか・・・ 宮沢賢治 「二人の役人」
・・・そして、がさがさの手の平で顔じゅう撫でた。植村婆さんは、一寸皮肉に笑いながら云った。「婆やつき合がひろいから、暇乞いだけでも容易であんめ?」「早く上らなくちゃならなかったんですがね、一日に二とこは歩けないもんだから」「そうともよ・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
出典:青空文庫