・・・ 木の芽は、風に吹かれて、体がたいへんに疲れてきました。そして、のどがこのうえもなく渇いていたので、ただ雨の降ってくれることを望んでいましたが、しかし、そんなことを口に出していいもされずに、不安におそわれて震えていたのです。「かわい・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・月日がたつにつれて、ガラスのびんはしぜんに汚れ、また、ちりがかかったりしました。飴チョコは、憂鬱な日を送ったのであります。 やがてまた、寒さに向かいました。そして、冬になると、雪はちらちらと降ってきました。天使は田舎の生活に飽きてしまい・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・それには丁度先刻しがた眼を覚して例の小草を倒に這降る蟻を視た時、起揚ろうとして仰向に倒けて、伏臥にはならなかったから、勝手が好い。それで此星も、成程な。 やっとこなと起かけてみたが、何分両脚の痛手だから、なかなか起られぬ。到底も無益だと・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・その上に、噛んだ歯がたのようなものが二列びついている。脹れはだんだんひどくなって行った。それにつれてその痕はだんだん深く、まわりが大きくなって来た。 あるものはネエヴルの尻のようである。盛りあがった気味悪い肉が内部から覗いていた。またあ・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・何時此処へ来て、何処から現われたのか少も気がつかなかったので、恰も地の底から湧出たかのように思われ、自分は驚いて能く見ると年輩は三十ばかり、面長の鼻の高い男、背はすらりとしたやさがた、衣装といい品といい、一見して別荘に来て居る人か、それとも・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ 二人の問答を聞いているのもおもしろいが、見ているのも妙だ、一人は三十前後の痩せがたの、背の高い、きたならしい男、けれどもどこかに野人ならざる風貌を備えている、しかしなんという乱暴な衣装だろう、古ぼけた洋服、ねずみ色のカラー、くしを入れ・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・うつそみの親のみすがた木につくりただに額ずり哭き給ひけん これは先年その木像を見て私が作った歌だ。 この帰省中に日蓮は清澄山での旧師道善房に会って、彼の愚痴にして用いざるべきを知りつつも、じゅんじゅんとして法華経に帰する・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・子供の時分には、絵で見て橇をこしらえて雪の降らない道の上をがた/\引っぱりまわって、通行人の邪魔をした。今、彼は、翼が六枚ついている飛行機をこしらえたらどうだろう、なんて空想している。小説をかいたりするよりは、大工か、樽屋になっていた方がよ・・・ 黒島伝治 「自画像」
・・・西袋も今はその辺に肥料会社などの建物が見えるようになり、川の流れのさまも土地の様子も大に変化したが、その頃はあたりに何があるでもない江戸がたの一曲湾なのであった。中川は四十九曲りといわれるほど蜿蜒屈曲して流れる川で、西袋は丁度西の方、即ち江・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・それに、二階は明るいようでも西日が強く照りつけて、夏なぞは耐えがたい。南と北とを小高い石垣にふさがれた位置にある今の住居では湿気の多い窪地にでも住んでいるようで、雨でも来る日には茶の間の障子はことに暗かった。「ここの家には飽きちゃった。・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫