・・・質の使、笊でお菜漬の買ものだの、……これは酒よりは香が利きます。――はかり炭、粉米のばら銭買の使いに廻らせる。――わずかの縁に縋ってころげ込んだ苦学の小僧、には、よくは、様子は分らなかったんですが、――ちゃら金の方へ、鴨がかかった。――そこ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ちょうど可い口があって住込みましたのが、唯今居りまする、ついこの先のお邸で、お米は小間使をして、それから手が利きますので、お針もしておりますのでございますよ。」「誰の邸だね。」「はい、沢井さんといって旦那様は台湾のお役人だそうで、始・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ すわや海上の危機は逼ると覚しく、あなたこなたに散在したりし数十の漁船は、北るがごとく漕戻しつ。観音丸にちかづくものは櫓綱を弛めて、この異腹の兄弟の前途を危わしげに目送せり。 やがて遙に能生を認めたる辺にて、天色は俄に一変せり。――・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・――自動車は後眺望がよく利きませんな、むこうに山が一ツ浮いていましょう。淡島です。あの島々と、上の鷲頭山に包まれて、この海岸は、これから先、小海、重寺、口野などとなりますと、御覧の通り不穏な駿河湾が、山の根を奥へ奥へと深く入込んでおりますか・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・「弘法大師御夢想のお灸であすソ、利きますソ。」 と寝惚けたように云うと斉しく、これも嫁入を恍惚視めて、あたかもその前に立合わせた、つい居廻りで湯帰りらしい、島田の乱れた、濡手拭を下げた娘の裾へ、やにわに一束の線香を押着けたのは、ある・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・――おつき申してはおります、月夜だし、足許に差支えはございませんようなものの、当館の紋の提灯は、ちょっと土地では幅が利きます。あなたのおためにと思いまして、道はまだ半町足らず、つい一っ走りで、駈け戻りました。これが間違いでございました。」・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ざいますから、私共は皆起きております、御用がございましたら御遠慮なく手をお叩き遊ばして、それからあのお湯でございますが、一晩沸いておりますから、幾度でも御自由に御入り遊ばして、お草臥にも、お体にも大層利きますんでございますよ。」 と大人・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 遥かに瞰下す幽谷は、白日闇の別境にて、夜昼なしに靄を籠め、脚下に雨のそぼ降る如く、渓流暗に魔言を説きて、啾々たる鬼気人を襲う、その物凄さ謂わむ方なし。 まさかこことは想わざりし、老媼は恐怖の念に堪えず、魑魅魍魎隊をなして、前途に塞・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・盂蘭盆の夜が更けて、燈籠が消えた時のように、羽織で包んだ初路の墓は、あわれにうつくしく、且つあたりを籠めて、陰々として、鬼気が籠るのであったから。 鋏は落ちていた。これは、寺男の爺やまじりに、三人の日傭取が、ものに驚き、泡を食って、遁出・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・この朝予は吉田の駅をでて、とちゅう畑のあいだ森のかげに絹織の梭の音を聞きつつ、やがて大噴火当時そのままの石の原にかかった。千年の風雨も化力をくわうることができず、むろん人間の手もいらず、一木一草もおいたたぬ、ゴツゴツたる石の原を半里あまりあ・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
出典:青空文庫