・・・ 重役の二三人は新聞記者に包囲されていた。自分に特に面会を求めたのも新聞記者であって、或人は損害の程度を訊いた。或人は保険の額を訊いた。或人は営業開始の時期を訊いた。或人は焼けた書籍の中の特記すべきものを訊いた。或人は丸善の火災が文明に・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・ 汽車の時間を計って出たにかかわらず、月に浮かれて余りブラブラしていたので、停車場でベルが鳴った。周章てて急坂を駈下りて転がるように停車場に飛込みざま切符を買った処へ、終列車が地響き打って突進して来た。ブリッジを渡る暇もないのでレールを・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 翌朝約束の停車場で、汽車から出て来たのは、二人の女の外には、百姓二人だけであった。停車場は寂しく、平地に立てられている。定木で引いた線のような軌道がずっと遠くまで光って走っていて、その先は地平線のあたりで、一つになって見える。左の方の・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・町の方には電車の音がしたり、また汽車の笛の音などもしているのでありました。 さよ子は、よい音色の起こるところへ、いってみたいと思いました。けれども、まだ年もゆかないのに、そんな遠いところまで、しかも晩方から出かけていくのが恐ろしくて、つ・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・乗って来た汽車をやり過して、線路をこえると、追分宿への一本道が通じていた。浅間山が不気味な黒さで横たわり、その形がみるみるはっきりと泛びあがって来る。間もなく夜が明ける。 人影もないその淋しい一本道をすこし行くと、すぐ森の中だった。前方・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・すると、それを聴きつけたのが、府庁詰の朝日新聞の記者で、さっそくそれを新聞記事にして「秋山さんいずこ。命の恩人を探す人生紙芝居」という変な見出しで書きたてましたので、私はこれは困ったことになったわいと恥しい思いをしていました。ところが、その・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・新聞記者になれるのだと喜んでいたのに、自転車であちこちの記者クラブへ原稿を取りに走るだけの芸だった。何のことはないまるで子供の使いで、社内でも、おい子供、原稿用紙だ、給仕、鉛筆削れと、はっきり給仕扱いでまるで目の廻わるほどこき扱われた。一日・・・ 織田作之助 「雨」
・・・左り側に彼が曾て雑誌の訪問記者として二三度お邪魔したことのある、実業家で、金持で、代議士の邸宅があった。「やはり先生避暑にでも行ってるのだろうが、何と云っても彼奴等はいゝ生活をしているな」彼は羨ましいような、また憎くもあるような、結局芸術と・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・行李一つと夜具だけ上野までチッキをつけて、一昨日ほとんどだしぬけに嫂さんところへ行ってすぐ夜汽車で来るつもりだったんでしょうがね、夜汽車は都合がわるいと止められたんで、一昨日の晩は嫂さんところへ泊って、昨日青森まで嫂さんに送られて一時の急行・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ 見ていると煙のようではなくて、煙の形を逆に固定したまま玩具の汽車が走っているようである。 ササササと日が翳る。風景の顔色が見る見る変わってゆく。 遠く海岸に沿って斜に入り込んだ入江が見えた。――峻はこの城跡へ登るたび、幾度とな・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫