・・・ ちょくちょく新聞に出るよその偉いお嬢さんや奥さんの様に、お茶を出しお菓子を出したあげく、御説法をして、お金をちょんびりやって帰す様な事が出来でもしたら、それこそ剛儀なものだ。 けれ共、うっかり私がそんな真似でも仕様ものなら、お茶碗・・・ 宮本百合子 「盗難」
・・・ 彼を見上げた口の上へ油井はキスした。 ○ 二定点間ノ最短距離ハソノ二点ヲ結ブ線分ナリ。 然し、みのえはジグザグ裏通りの狭いところを通って、女学校の往きに、時々油井の家へよった。会社員である油・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
・・・ ヴォルガ河を夏とおる船は、その平屋根に西瓜をのせて通っているし、この河で釣れるキスのような魚の清汁の味は実によかった。 そして、これらの季節の思い出のどの一節にも、遠くにか近くにか手風琴と歌声とが響いていて、そこには微かにロシヤの・・・ 宮本百合子 「モスクワ」
・・・とうとう宇平と文吉とで勧めて、九郎右衛門を一旦姫路へ帰すことにした。九郎右衛門は渋りながら下関から舟に乗って、十二月十二日の朝播磨国室津に着いた。そしてその日のうちに姫路の城下平の町の稲田屋に這入った。本意を遂げるまでは、飽くまでも旅中の心・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・母がいつ来ても、同じような繰り言を聞かせて帰すのである。 厄難に会った初めには、女房はただ茫然と目をみはっていて、食事も子供のために、器械的に世話をするだけで、自分はほとんど何も食わずに、しきりに咽がかわくと言っては、湯を少しずつ飲んで・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・「キスをして上げてもよくって」 渡辺はわざとらしく顔をしかめた。「ここは日本だ」 たたかずに戸をあけて、給仕が出て来た。「お食事がよろしゅうございます」「ここは日本だ」と繰り返しながら渡辺はたって、女を食卓のある室へ案内・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・さあ、お別れにこの手にキスをなさいまし。これからはまたただのお友達でございますよ。 男。さよう。どうも思召通りにするより外ありません。 女。ともかくもお互の間に愉快な、わだかまりの無い記念だけは残っていると云うものでございますね。二・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
出典:青空文庫