・・・ 二 左近を打たせた三人の侍は、それからかれこれ二年間、敵兵衛の行く方を探って、五畿内から東海道をほとんど隈なく遍歴した。が、兵衛の消息は、杳として再び聞えなかった。 寛文九年の秋、一行は落ちかかる雁と共に・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・その語る言葉は、日本語にちがいなく、畿内、山陰、西南海道の方言がまじっていて聞きとりがたいところもあったけれど、かねて思いはかっていたよりは了解がやさしいのであった。ヤアパンニアの牢のなかで一年をすごしたシロオテは、日本の言葉がすこし上手に・・・ 太宰治 「地球図」
・・・この災害のあとで、「班幣畿内諸神、祈止風雨」あるいは「向柏原山陵、申謝風水之ふうすいのわざわいをしんしゃせしむ」といったようなその時代としては適当な防止策が行われ、また最も甚だしく風水害を被った三千百五十九家のために「開倉廩賑給之」という応・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・今度の暴風で畿内地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみればこの事は了解されるであろう。 これほどだいじな神経や血管であるから天然の設計に成る動物体内ではこれらの器官が実に巧妙な仕掛けで注意深く保護さ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
出典:青空文庫