・・・コンマの切り方なども、単に意味の上から切るばかりでなく、文調の関係から切る場合が少くない。 されば、外国文を翻訳する場合に、意味ばかりを考えて、これに重きを置くと原文をこわす虞がある。須らく原文の音調を呑み込んで、それを移すようにせねば・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・なぜならこれからちょうど小さな根がでるころなのに西風はまだまだ吹くから幹がてこになってそれを切るのだ。けれども菊池先生はみんな除らせた。花が咲くのに支柱があっては見っともないと云うのだけれども桜が咲くにはまだ一月もその余もある。菊池先生は春・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・山男は夜具を綿入の代りに着るかも知れない。それから団子も持って行こう」 亮二は叫びました。「着物と団子だけじゃつまらない。もっともっといいものをやりたいな。山男が嬉しがって泣いてぐるぐるはねまわって、それからからだが天に飛んでしまう・・・ 宮沢賢治 「祭の晩」
・・・男の子も女の子も十六七になれば、食べるものも着るものも大人なみである。本だって沢山よみたいし、運動もしたい。ソヴェト同盟には工場図書館、スポーツ・サークルが発達していて、大体無料でいろいろのことができるが、食物、衣服はまだ無料とはゆかない。・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・ 西洋葵に水をやって、コスモスの咲き切ったのを少し切る。 花弁のかげに青虫がたかって居た。 気味が悪いから鶏に投げてやると黄いコーチンが一口でたべて仕舞う。 又する事がなくなると、気がイライラして来る。 隣りの子供が三人・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・この弥一右衛門が腹は瓢箪に油を塗って切る腹じゃそうな。それじゃによって、おれは今瓢箪に油を塗って切ろうと思う。どうぞ皆で見届けてくれい」 市太夫も五太夫も島原の軍功で新知二百石をもらって別家しているが、中にも市太夫は早くから若殿附きにな・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・平生人には吝嗇と言われるほどの、倹約な生活をしていて、衣類は自分が役目のために着るもののほか、寝巻しかこしらえぬくらいにしている。しかし不幸な事には、妻をいい身代の商人の家から迎えた。そこで女房は夫のもらう扶持米で暮らしを立ててゆこうとする・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・ 私は物の運動というものの理想を鵜飼で初めて見たと思ったが、綱を切る切らぬの判断は、鵜を使う漁夫の手にあるのもまた知った。私は世界の運動を鵜飼と同様だとは思わないが、急流を下り競いながら、獲物を捕る動作を赤赤と照す篝火の円光を眼にすると・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・恐らく彼女らにはその最も好む美しき衣物を着る時間が、眠るとき以外にはないのであろう。 或る夜、彼女らの一人は、夜更けてから愛する男の病室へ忍び込んで発見された。その翌日、彼女は病院から解雇された。出て行くとき彼女は長い廊下を見送る看護婦・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・ もとより自分は、対象の写実が正路であって自己情緒の表現が邪路であると言い切るのではない。いずれもともに正しい道であろう。しかし自己の道がいずれであるかを明瞭に意識しておくことは必要である。小林氏はもちろんそれを意識しておられるであろう・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫