・・・ そこへ偶然自動車を乗りつけたのはあの音楽家のクラバックです。クラバックはこういう光景を見ると、しばらく戸口にたたずんでいました。が、僕らの前へ歩み寄ると、怒鳴りつけるようにマッグに話しかけました。「それはトックの遺言状ですか?」・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・最も明白な場合のみを挙げて見ても、千五百七十五年には、マドリッドに現れ、千五百九十九年には、ウインに現れ、千六百一年にはリウベック、レヴェル、クラカウの三ヶ所に現れた。ルドルフ・ボトレウスによれば、千六百四年頃には、パリに現れた事もあるらし・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・顔から胸から汗がぽた/\流れ落ちた。クラ/\と今にも打倒れそうな疲れた頼りない気持であった。歯のすり減った下駄のようになった日和を履いて、手の脂でべと/\に汚れた扇を持って、彼はひょろ高い屈った身体してテク/\と歩いて行った。それは細いだら・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・三ツの担架は冷たい空気が吹き出て来る箇所を通りぬけて眼がクラ/\ッとする坑外へ出た。そこには、死者が、しょっちゅうあこがれていた太陽の光が惜しげなく降り注いでいた。死者の女房は、群集の中から血なまぐさい担架にすがり寄った。「千恵子さんの・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・学校で教わっていた「クライブ伝」や「ヘスチング」になんの興味も感じることのできなくてかわき切っていた頭にあたたかい人間味の雨をそそいだのであった。この雨が深くしみ込んで、よかれあしかれその後の生活に影響したような気がする。 当時は「明治・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・その中で記憶に残っているものは、マコーレーのクライブの伝。パアレーの『万国史』。フランクリンの『自叙伝』。ゴールドスミスの『ウェークフィルドの牧師』。それからサー・ロジャス・デカバリイ。巴里屋根裏の学者の英訳本などである。中村敬宇先生が漢文・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・小児の時のみではない成人してからも始終訪問れた。クララの居る所なら海の底でも行かずにはいられぬ。彼はつい近頃まで夜鴉の城へ行っては終日クララと語り暮したのである。恋と名がつけば千里も行く。二十哩は云うに足らぬ。夜を守る星の影が自ずと消えて、・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ フックラと莟のように、海に浮いた島々が、南洋ではどんなに奇麗なことだろう。それは、ひどい搾取下にある島民たちで生活されているが、見たところは、パラダイスであった。セーラーたちは、いつもその島々を、恋人のように懐しんだ。だが、その島も、・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・鼠色のスーとしたズボン。クラバットがわりのマッフラーを襟の間に入れてしまっている。やせぎすの浅黒い顔、きっちりとしてかりこんだ髪。つれの女の子、チェックのアンサンブル黒いハンドバッグと手袋とをその男がもってやっている。このよた、ちっとも笑顔・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・ ○カマクラの海浜ホテルで見た、シャンパンをぬいた I love you が、又あの水浅黄格子木綿服の女と、他に子供づれの夫人とで来て居た。 ○下手な絵を描いて居た女、二十七八、メリンスの帯、鼻ぬけのような声 ○可愛いセルの着物・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
出典:青空文庫