・・・お前様アくわねえか。」「ええ、蚊がくうどころのことじゃないわね。お前もあんまり因業だ、因業だ、因業だ。」「なにその、いわっしゃるほど因業でもねえ。この家をめざしてからに、何遍も探偵が遣って来るだ。はい、麻畑と謂ってやりゃ、即座に捕ま・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・千年の風雨も化力をくわうることができず、むろん人間の手もいらず、一木一草もおいたたぬ、ゴツゴツたる石の原を半里あまりあるいた。富士はほとんど雲におおわれて傾斜遠長きすそばかり見わたされる。目のさきからじきに山すそに連続した、三、四里もある草・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
一 信吉は、学校から帰ると、野菜に水をやったり、虫を駆除したりして、農村の繁忙期には、よく家の手助けをしたのですが、今年は、晩霜のために、山間の地方は、くわの葉がまったく傷められたというので、遠くからこの辺にまで、くわの葉を買い・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・いまに落ちぶれやがるだろうと胸をわくわくさせて、この見通しの当るのを、待っていたのだ。案の定当った。ざまあ見ろ。 ところで、いま、おれが使った此の「今日ある」という言葉を、お前は随分気に入って、全国支店長総会なんかで、やたらに振りまわし・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・お披露目をするといってもまさか天婦羅を配って歩くわけには行かず、祝儀、衣裳、心付けなど大変な物入りで、のみこんで抱主が出してくれるのはいいが、それは前借になるから、いわば蝶子を縛る勘定になると、反対した。が、結局持前の陽気好きの気性が環境に・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・「だから、それが気にくわないというのです。医学の為とか、あるいは学校の教育資料とか何とか、そんな事なら話はわかるが、道楽隠居が緋鯉にも飽きた、ドイツ鯉もつまらぬ、山椒魚はどうだろう、朝夕相親しみたい、まあ一つ飲め、そんなふざけたお話に、・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・殊にも、おのが貴族の血統を、何くわぬ顔して一こと書き加えていたという事実に就いては、全くもって、女子小人の虚飾。さもしい真似をして呉れたものである。けれども、その夜あんなに私をくやしがらせて、ついに声たてて泣かせてしまったものは、これら乱雑・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・叱るなら叱るでいい、太腹らしく黙って送って寄こしたのが気にくわなかった。十二月のおわり、「鶴」は菊半裁判、百余頁の美しい本となって彼の机上に高く積まれた。表紙には鷲に似た鳥がところせましと翼をひろげていた。まず、その県のおもな新聞社へ署名し・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・けれども私は、何くわぬ顔してそれを読まなければいけません。手紙には、こう書かれてあるのです。私は、手紙をろくろく見ずに、声立てて読みました。 ――きょうは、あなたにおわびを申し上げます。僕がきょうまで、がまんしてあなたにお手紙差し上・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・また、もひとつ、つぎはぎのゆめを見た、ぬすびとの、わきざしを持ち、にかいへあがる、ころものそで、はしごにかかり、つぎに、ざいたふみ落す、ここわなにかと問へば、たばこをだす、あな、と言ふ、したには、くわじなかば、琴のいとをしめて、かへるといへ・・・ 太宰治 「盲人独笑」
出典:青空文庫