・・・あれがもう一度世に出れば、画苑の慶事ですよ」と言うのです。 私ももちろん望むところですから、早速翁を煩わせて、手紙を一本書いてもらいました。が、さて遊歴の途に上ってみると、何かと行く所も多いものですから、容易に潤州の張氏の家を訪れる暇が・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・たとえば、閣下の使用せられる刑事の中にさえ、閣下の夢にも御存知にならない伝染病を持っているものが、大勢居ります。殊にそれが、接吻によって、迅速に伝染すると云う事実は、私以外にほとんど一人も知っているものはございません。この例は、優に閣下の傲・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・その筋の刑事だ。分ったか。」「ええ、旦那でいらっしゃいますか。」 と、破れ布子の上から見ても骨の触って痛そうな、痩せた胸に、ぎしと組んだ手を解いて叩頭をして、「御苦労様でございます。」「むむ、御苦労様か。……だがな、余計な事・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 家の三軒向うは黒山署の防犯刑事である。半町先に交番がある。間抜けた強盗か、図太い強盗かと思いながら、ガラリと戸をあけると、素足に八つ割草履をはいた男がぶるぶる顫えながらちょぼんと立ってうなだれていた。ひょいと覗くと、右の眼尻がひどく下・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 豹吉の傍へ寄って来ると、「兄貴、えらいこっちゃ。刑事の手が廻った!」 亀吉は血相を変えていきなり言った。 お加代の顔には瞬間さっと不安な翳が走ったが、豹吉は顔の筋肉一つ動かさず、ぼそんとした浮かぬ表情を、重く沈ませてい・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・知性を否定して端的に啓示そのものを受けいれねばならぬ。それは書物ではできない。その意味においては、弁証法的神学者がいうように、聖書でさえも啓示を語った書ではあるが、啓示そのものではないのである。 かように書物と知性から離れて端的に神の啓・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・民事訴訟の紛紜、及び余り重大では無い、武士と武士との間に起ったので無い刑事の裁断の権能をもそれに持たせた。公辺からの租税夫役等の賦課其他に対する接衝等をもそれに委ねたのであった。実際に是の如き公私の中間者の発生は、栄え行こうとする大きな活気・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・息子が係りの刑事に連れられて、入ってきたのを見るや否や、いきなり大声で「こン畜生! この親不孝の馬鹿野郎奴!」と怒鳴りつけた。刑事の方がかえって面喰らって、「まあ/\、こういう時にはそれ一人息子だ。優しい言葉の一つ位はかけてやるもンだよ。」・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・り記憶しているが、私はその短篇集を読んで感慨に堪えず、その短篇集を懐にいれて、故郷の野原の沼のほとりに出て、うなだれて徘徊し、その短篇集の中の全部の作品を、はじめから一つ一つ、反すうしてみて、何か天の啓示のように、本当に、何だか肉体的な実感・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・』文学部事務所にその掲示は久しくかけられてあった。僕は太宰治を友人であるごとくに語り、そして、さびしいおもいをした。太宰治は芸術賞をもらわなかった。僕は藤田大吉という人の作品を決して読むまいと心にちかった。僕は、そんなに他人の文章を読まない・・・ 太宰治 「虚構の春」
出典:青空文庫