・・・これ等の人々は、若いブルジョア日本の建設期に、文化的な活動と文学活動との分化を未だ認識せず、商売をはじめた政治家とひとし並或は一頭角をぬいた経世家として、自身を感じていたのであった。 福沢諭吉は勿論のこと、東海散士、末広鉄腸、川島忠之助・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・西鶴の小説が語っているような有様であったから、近松の浄瑠璃が描き出しているような情の世界があふれていたから、それへの警告として、警世家の言葉として益軒の「女大学」をふくむ十訓があらわれたというのも一つの見かたではあろう。だが、近松の浄瑠璃に・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・昨今の形勢では折角それらの人々を教育してもかえって逆な利益の為に利用されることになってしまうので、残念ながら断然閉鎖に決心しました。 西日が表戸の真鍮板と売家の広告の上に照っている。真鍮板の「労働大学」という字がキラキラ往来に向って光っ・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・ そこでこの懇親会の輪番幹事の一人たる畑が、秋水を請待して、同郷の青年を警醒しようとしたのだと云うことは、問うことを須いない。 暫くして畑の後輩で、やはり幹事に当っている男が、我々を余興の席へ案内した。宴会のプログラムの最初に置かれ・・・ 森鴎外 「余興」
・・・ 十五世紀から十七世紀へかけての航海者の報告を総合すれば、サハラの沙漠から南へ広がっているニグロ・アフリカに、そのころなお、調和的に立派に形成された文化が満開の美しさを見せていたということは確実なのである。ではその文化の華はどうなったか・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
・・・今やその民衆の力が、軍隊の主要部を形成するに至った。それが足軽である。だから彼は社会の崩壊を怖れたのである。 以上のごとく、応永、永享の精神から見れば、応仁以後の時代は下剋上の時代、秩序なき時代、社会崩壊の時代であった。この新しい時・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・そういう樹々が無数に集まって景観を形成するとすれば、景観全体がすっかり違った感じになるのは当然であろう。 私は東山の麓に住んでいた関係もあって京都の樹木の美しさを満喫することができた。 新緑のころの京都は、実際あわただしい気分に・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
・・・しかしそれによって形成せられた一つの様式がその特殊の美を持つことは、消し去るわけには行かないのである。 復興された東京を見て回って感じさせられたことも、結局はこれと同じであった。巨大な欧米風建築に取り囲まれた宮城前の広場に立ってしみじみ・・・ 和辻哲郎 「城」
・・・が、たとい稚拙であるにもしろ、その想像力が、一方でわが国の古い神話や建国伝説などを形成しつつあった時に、他方ではこの埴輪の人物や動物や鳥などを作っていたのである。言葉による物語と、形象による表現とは、かなり異なってもいるが、しかしそれが同じ・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
・・・人形として彫刻的に形成せられているのはただ首と手と足に過ぎない。女の人形ではその足さえもないのが通例である。首は棒でささえて紐で仰向かせたりうつ向かせたりする。物によると眼や眉を動かす紐もついている。それ以上の運動は皆首の棒を握っている人形・・・ 和辻哲郎 「文楽座の人形芝居」
出典:青空文庫