・・・それはもう前年度の文学現象の検討の中に、自ら現代文学の重要な発展の可能性が示されているということです。前年度の回顧の中の第一の分類に属する丹羽文雄氏が「私は小説家である」といういせいのいい論文で、社会小説を主張して私小説から脱却しようとする・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・を読んだ人は、誰でもこの作品のさっぱりとして、しかも人間らしいつよさにこころよく感銘されるのですが、この小説も『新日本文学』の収穫として、まじめに検討し、この作者の勤労者として、そして小説を書く人としての大成を期待しなければならないと思いま・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・などと云う母親の顔へ無理でも自分の顔を押しあて様とする事がありますと、彼はもう此上ない憤りに胸を掻き乱されながら鳶色の愛情でこり固まった様な拳を作って拳闘をする様な構えで非常に「無法な姉」に掛って来ました。 年上の者達が一言でも母の悪る・・・ 宮本百合子 「二月七日」
・・・これは分別の深い正しい人間で、熱情的な拳闘家である。 後年、ゴーリキイは当時を回想して書いている。かっ払いは「半飢の小市民にとって生活のための殆ど唯一の手段、習慣となっていて、罪とはされていなかった。非常に多くの尊敬すべき一家の主人が、・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・それを見当違に罵倒したりなんかせずに置いてくれれば好いと思うのである。そして少数の人がどこかで読んで、自分と同じような感じをしてくれるものがあったら、為合せだと、心のずっと奥の方で思っているのである。 停留場までの道を半分程歩いて来たと・・・ 森鴎外 「あそび」
村の点燈夫は雨の中を帰っていった。火の点いた献灯の光りの下で、梨の花が雨に打たれていた。 灸は闇の中を眺めていた。点燈夫の雨合羽の襞が遠くへきらと光りながら消えていった。「今夜はひどい雨になりますよ。お気をおつけ遊・・・ 横光利一 「赤い着物」
芸術の検閲 ロダンの「接吻」が公開を禁止されたとき、大分いろいろな議論が起こった。がその議論の多くは、検閲官を芸術の評価者ででもあるように考えている点で、根本に見当違いがあったと思う。 検閲官は芸術の解らない人であって・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫