・・・ 公園の御桜山に大きな槙の樹があってその実を拾いに行ったこともあった。緑色の楕円形をした食えない部分があってその頭にこれと同じくらいの大きさで美しい紅色をした甘い団塊が附着している。噛み破ると透明な粘液の糸を引く。これも国を離れて以来再・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・大正十二年関東大震災以前から既に地震学に興味をもっていたが、大震災の惨害を体験した動機から、地震に対する特殊の研究機関の必要を痛感し、時の総長古在由直氏に進言し、その後援の下に懸命の努力をもって奔走した結果、遂に東京帝国大学附属地震研究所の・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・墓前花堆うして香煙空しく迷う塔婆の影、木の間もる日光をあびて骨あらわなる白張燈籠目に立つなどさま/″\哀れなりける。上野へ入れば往来の人ようやくしげく、ステッキ引きずる書生の群あれば盛装せる御嬢様坊ちゃん方をはじめ、自転車はしらして得意気な・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・夕方福岡からきて、明日は鹿児島へゆき、数日後はまた熊本へもどって、古藤たちの学校で講演するというこの男は、無口で、ひどく傲岸にみえた。あつい唇をむッと結んでいて、三吉はゴツンとぶつかるようなものを感じさせる。そのうち、学生たちがまだ彼の演説・・・ 徳永直 「白い道」
・・・たちまちせきをきったように、人々が流れだしてくると、三吉はいそいで坂の中途から小径をのぼって、城内の練兵場の一部になった小公園へきた。それが深水と打ちあわせてある場所で、古びた藤棚の下に石の丸卓があって、雨ざらしのベンチがあった。さて――、・・・ 徳永直 「白い道」
震災の後上野の公園も日に日に旧観を改めつつある。まず山王台東側の崖に繁っていた樹木の悉く焼き払われた後、崖も亦その麓をめぐる道路の取ひろげに削り去られ、セメントを以て固められたので、広小路のこなたから眺望する時、公園入口の・・・ 永井荷風 「上野」
・・・わたしは主人公とすべき或婦人が米国の大学を卒業して日本に帰った後、女流の文学者と交際し神田青年会館に開かれる或婦人雑誌主催の文芸講演会に臨み一場の演説をなす一段に至って、筆を擱いて歎息した。 初めわたしはさして苦しまずに、女主人公の老父・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・呼込みの男が医学と衛生に関する講演をやって好加減入場者が集まる頃合を見計い表の幕を下す。入場料はたしか五拾円であった。これも、わたくしは入って見てもいいと思いながら講演が長たらしいのに閉口して、這入らずにしまった。エロス祭と女の首の見世物と・・・ 永井荷風 「裸体談義」
公園の片隅に通りがかりの人を相手に演説をしている者がある。向うから来た釜形の尖った帽子を被ずいて古ぼけた外套を猫背に着た爺さんがそこへ歩みを佇めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつかつかとこの村夫子のたたずめる前・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・と云うほどの秘密でもありませんが、全くのところ今日の講演は長時間諸君に対して御話をする材料が不足のような気がしてならなかったから、牧さんにあなたの方は少しは伸ばせますかと聞いたのです。すると牧君は自分の方は伸ばせば幾らでも伸びると気丈夫な返・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
出典:青空文庫