自分は、大川端に近い町に生まれた。家を出て椎の若葉におおわれた、黒塀の多い横網の小路をぬけると、すぐあの幅の広い川筋の見渡される、百本杭の河岸へ出るのである。幼い時から、中学を卒業するまで、自分はほとんど毎日のように、あの・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・と云い合いて、別れ別れに一方は大路へ、一方は小路へ、姿を下駄音と共に消すのも、満更厭な気ばかり起させる訳でもない。 私も嘗て、本郷なる何某と云うレストランに、久米とマンハッタン・カクテルに酔いて、その生活の放漫なるを非難したる事ありしが・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。 トロッコの・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
・・・自分はさらに同じような非難を嫁が島の防波工事にも加えることを禁じえない。防波工事の目的が、波浪の害を防いで嫁が島の風趣を保存せしめるためであるとすれば、かくのごとき無細工な石がきの築造は、その風趣を害する点において、まさしく当初の目的に矛盾・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・裏庭の外には小路の向うに、木の芽の煙った雑木林があった。良平はそちらへ駈けて行こうとした。すると金三は「こっちだよう」と一生懸命に喚きながら、畑のある右手へ走って行った。良平は一足踏み出したなり、大仰にぐるりと頭を廻すと、前こごみにばたばた・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・親方には半文の借りもした覚えはねえからな、俺らその公事には乗んねえだ。汝先ず親方にべなって見べし。ここのがよりも欲にかかるべえに。……芸もねえ事に可愛くもねえ面つんだすなてば」 仁右衛門はまた笠井のてかてかした顔に唾をはきかけたい衝動に・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・えこの川は、常夏の花に紅の口を漱がせ、柳の影は黒髪を解かしたのであったに―― もっとも、話の中の川堤の松並木が、やがて柳になって、町の目貫へ続く処に、木造の大橋があったのを、この年、石に架かえた。工事七分という処で、橋杭が鼻の穴のように・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
もとの邸町の、荒果てた土塀が今もそのままになっている。……雪が消えて、まだ間もない、乾いたばかりの――山国で――石のごつごつした狭い小路が、霞みながら一条煙のように、ぼっと黄昏れて行く。 弥生の末から、ちっとずつの遅速はあっても、・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・三月の中の七日、珍しく朝凪ぎして、そのまま穏かに一日暮れて……空はどんよりと曇ったが、底に雨気を持ったのさえ、頃日の埃には、もの和かに視められる……じとじととした雲一面、星はなけれど宵月の、朧々の大路小路。辻には長唄の流しも聞えた。 こ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 足の運びにつれて目に映じて心に往来するものは、土橋でなく、流でなく、遠方の森でなく、工場の煙突でなく、路傍の藪でなく、寺の屋根でもなく、影でなく、日南でなく、土の凸凹でもなく、かえって法廷を進退する公事訴訟人の風采、俤、伏目に我を仰ぎ見る・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
出典:青空文庫