・・・桜井女学校の講師をしていた時分、卒業式に招かれて臨席したが、中途にピアノの弾奏が初まったので不快になって即時に退席したと日記に書いてある。晩年にはそれほど偏意地ではなかったが、左に右く洋楽は嫌いであった。この頃の洋楽流行時代に居合わして、い・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ またあるとき、ケーは土木工事をしているそばを通りかかりますと、多くの人足が疲れて汗を流していました。それを見ると気の毒になりましたから、彼は、ごくすこしばかりの砂を監督人の体にまきかけました。と、監督は、たちまちの間に眠気をもよおし、・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・そして、二人目の講師の演説が終った時には、もともと極端に走りやすい私はもう禁酒会員名簿に署名をしていました。そのころ東成禁酒会の宣伝隊長は谷口という顔の四角い人でしたが、私は谷口さんに頼まれて時々演説会場で禁酒宣伝の紙芝居を実演したり、東成・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・それともうひとつ想いだすのは、浜子が法善寺の小路の前を通る時、ちょっと覗きこんで、お父つあんの出たはるのはあの寄席やと花月の方を指しながら、私たちに言って、きゅうにペロリと舌を出したあの仕草です。 やがて楽天地の建物が見えました。が、浜・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・一人の私服警官が粉煙草販売者を引致してゆく途中、小路から飛び出して来た数名がバラバラツと取りかこみ、各自手にした樫棒で滅茶苦茶に打ち素手の警官はたちまちぶつ倒れて水溜りに顔を突つ込んだ。死んだやうになつてゐた数秒、しかし再び意識をとり戻した・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・恐らく講師の私を大いに学のある男だと思ったらしかったが、しかし、私は講演しながら、アラビヤに沙漠があったかどうか、あるいはまた、アラビヤに猿が棲んでいたかどうかという点については、甚だ曖昧で、質問という声が出ないかと戦々兢々としていたのであ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・最初私が美人座へ行ったのは、その頃私の寄宿していた親戚の家がネオンサインの工事屋で、たまたま美人座の工事を引受けた時、クリスマスの会員券を売付けられ、それを貰ったからであるが、戎橋の停留所で市電を降り、戎橋筋を北へ丸万の前まで来ると、はや気・・・ 織田作之助 「世相」
・・・そしてちょっと考えて、神楽坂の方へとぼとぼ……、その坂下のごみごみした小路のなかに学生相手の小質屋があり、今はそこを唯一のたのみとしているわけだが、しかし質種はない。いろいろ考えた末、ポケットにさしてある万年筆に思い当り、そや、これで十円借・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・半僧坊のおみくじでは、前途成好事――云々とあったが、あの際大吉は凶にかえるとあの茶店の別ピンさんが口にしたと思いますが、鎌倉から東京へ帰り、間もなく帰郷して例の関係事業に努力を傾注したのでしたが、慣れぬ商法の失敗がちで、つい情にひかされやす・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ 護岸工事に使う小石が積んであった。それは秋日の下で一種の強い匂いをたてていた。荒神橋の方に遠心乾燥器が草原に転っていた。そのあたりで測量の巻尺が光っていた。 川水は荒神橋の下手で簾のようになって落ちている。夏草の茂った中洲の彼方で・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
出典:青空文庫