……わたしはこの温泉宿にもう一月ばかり滞在しています。が、肝腎の「風景」はまだ一枚も仕上げません。まず湯にはいったり、講談本を読んだり、狭い町を散歩したり、――そんなことを繰り返して暮らしているのです。我ながらだらしのない・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・「兄さんはどんな人?」「どんな人って……やっぱり本を読むのが好きなんですよ。」「どんな本を?」「講談本や何かですけれども。」 実際その家の窓の下には古机が一つ据えてあった。古机の上には何冊かの本も、――講談本なども載って・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・これは、後段に、無花果云々の記事が見えるのに徴しても、明である。それから乗合はほかにはなかったらしい。時刻は、丁度昼であった。――筆者は本文へはいる前に、これだけの事を書いている。従ってもし読者が当時の状景を彷彿しようと思うなら、記録に残っ・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・博士に化けた Mephistopheles は或大学の講壇に批評学の講義をしていた。尤もこの批評学は Kant の Kritik や何かではない。只如何に小説や戯曲の批評をするかと言う学問である。「諸君、先週わたしの申し上げた所は御理解・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・「何、講談だそうだ。水戸黄門諸国めぐり――」 穂積中佐は苦笑した。が、相手は無頓着に、元気のよい口調を続けて行った。「閣下は水戸黄門が好きなのだそうだ。わしは人臣としては、水戸黄門と加藤清正とに、最も敬意を払っている。――そんな・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ただ、私の記憶によりますと、仲入りの前は、寛永御前仕合と申す講談でございました。当時の私の思量に、異常な何ものかを期待する、準備的な心もちがありはしないかと云う懸念は、寛永御前仕合の講談を聞いたと云うこの一事でも一掃されは致しますまいか。・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・そのあとで、また蓄音機が一くさりすむと、貞水の講談「かちかち甚兵衛」がはじまった。にぎやかな笑い顔が、そこここに起る。こんな笑い声もこれらの人々には幾日ぶりかで、口に上ったのであろう。学校の慰問会をひらいたのも、この笑い声を聞くためではなか・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・着物を重ねても寒い秋寒に講壇には真裸なレオというフランシスの伴侶が立っていた。男も女もこの奇異な裸形に奇異な場所で出遇って笑いくずれぬものはなかった。卑しい身分の女などはあからさまに卑猥な言葉をその若い道士に投げつけた。道士は凡ての反感に打・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・――……つもっても知れましょうが、講談本にも、探偵ものにも、映画にも、名の出ないほどの悪徒なんですから、その、へまさ加減。一つ穴のお螻どもが、反対に鴨にくわれて、でんぐりかえしを打ったんですね。……夜になって、炎天の鼠のような、目も口も開か・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ ――わあ―― と罵るか、笑うか、一つ大声が響いたと思うと、あの長靴なのが、つかつかと進んで、半月形の講壇に上って、ツと身を一方に開くと、一人、真すぐに進んで、正面の黒板へ白墨を手にして、何事をか記すのです、――勿論、武装のままであ・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
出典:青空文庫