・・・ いざモラトリアムが公布されるという前日、殆どすべての銀行で、政府要路の人物、財閥たちは、手持ちの厖大な金額を、封鎖洩れとされていた五円紙幣に代えた。モラトリアムが公布されたとき一般の市民は忽ち小額紙幣饑饉で大困難をした。モラトリアム第・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・八王子を経て、甲斐国に入って、郡内、甲府を二日に廻って、身延山へ参詣した。信濃国では、上諏訪から和田峠を越えて、上田の善光寺に参った。越後国では、高田を三日、今町を二日、柏崎、長岡を一日、三条、新潟を四日で廻った。そこから加賀街道に転じて、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・今のうちは箱を開けてから一月も保存しなくてはならないのだから、工夫を要すると云っている。 石田は葉巻に火を附けて、さも愉快げに、一吸吸って、例の手習机に向った。北向の表庭は、百日紅の疎な葉越に、日が一ぱいにさして、夾竹桃にはもうところど・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・作家生活をしているうえは、その生活から自然に物事を眺めるようになってくるので、ここから絶えず抜け出る工夫は躍起となってしているにもかかわらず、それが手っ取り早く出来るものではない。 私小説はそれを克服して後始めて本格小説となるという河上・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・自己の内部生命の表現ではなく、頭で考えた工夫と手先でコナした技巧との、いわばトリックを弄した芸当である。そうしてそのトリックの斬新が「新しい試み」として通用するのである。 目先の変更を必要としないほどに落ちついた大家は、自己の様式の内で・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫