人物の善悪を定めんには我に極美なかるべからず。小説の是非を評せんには我に定義なかる可らず。されば今書生気質の批評をせんにも予め主人の小説本義を御風聴して置かねばならず。本義などという者は到底面白きものならねば読むお方にも・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・しかし何の用があって此処へ来たのだ。死。ふむ。わしの来るのには何日でも一つしか用事はないわ。主人。まだそれまでには間があるはずだ。一枚の木の葉でも、枝を離れて落ちるまでには、たっぷり木の汁を吸っている。己はそこまでになってはいぬ。己・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・木曾路へ這入って贄川まで来た。爰は木曾第一の難処と聞えたる鳥井峠の麓で名物蕨餅を売っておる処である。余はそこの大きな茶店に休んだ。茶店の女主人と見えるのは年頃卅ばかりで勿論眉を剃っておるがしんから色の白い女であった。この店の前に馬が一匹繋い・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・「どうだい、此処は面白いかい。」「面白いねえ。」象がからだを斜めにして、眼を細くして返事した。「ずうっとこっちに居たらどうだい。」 百姓どもははっとして、息を殺して象を見た。オツベルは云ってしまってから、にわかにがたがた顫え・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ それかと云って、厚着をして不形恰に着ぶくれた胴の上に青い小さな顔が乗って居る此の変な様子で人の集まる処へ出掛ける気もしない。「なり」振りにかまわないとは云うもののやっぱり「女」に違いないとつくづく思われる。 こないだっから仕掛・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・さてその前後左右に綺羅星の如くに居並んでいる人々は、遠目の事ゆえ善くは見えぬが、春陽堂の新小説の宙外、日就社の読売新聞の抱月などという際立った性格のある頭が、肱を張って控えて居るだけは明かに見える。此等は随分博文館の天下をも争いかねぬ面魂で・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ 私は此の文学的活動の善悪に関して云う前に、次の一事実を先ず指摘する。 ――いかなるものと雖も、わが国の現実は、資本主義であると云う事実を認めねばならぬ。と。 此の一大事実を認めた以上は、われわれはいかに優れたコンミニス・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
出典:青空文庫