・・・ ふと小用場を借りたくなった。 中戸を開けて、土間をずッと奥へ、という娘さんの指図に任せて、古くて大きいその中戸を開けると、妙な建方、すぐに壁で、壁の窓からむこう土間の台所が見えながら、穴を抜けたように鉤の手に一つ曲って、暗い処をふ・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・葱の枯葉を掻分けて、洗濯などするのである。で、竹の筧を山笹の根に掛けて、流の落口の外に、小さな滝を仕掛けてある。汲んで飲むものはこれを飲むがよし、視めるものは、観るがよし、すなわち清水の名聞が立つ。 径を挟んで、水に臨んだ一方は、人の小・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ この日当りで暖かそうなが、青白い建ものの、門の前は、枯葉半ば、色づいた桜の木が七八株、一列に植えたのを境に、もう温泉の町も場末のはずれで、道が一坂小だかくなって、三方は見通しの原で、東に一帯の薬師山の下が、幅の広い畷になる。桂谷と言う・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 亭主はさぞ勝手で天窓から夜具をすっぽりであろうと、心に可笑しく思いまする、小宮山は山気膚に染み渡り、小用が達したくなりました。 折角可い心地で寐ているものを起しては気の毒だ。勇士は轡の音に目を覚ますとか、美人が衾の音に起きませぬよ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・伊助の神経ではそんな世話は思いも寄らず、椙も尿の世話ときいては逃げるし、奉公人もいやな顔を見せたので、自然気にいらぬ登勢に抱かれねばお定は小用も催せなかった。 登勢はいやな顔一つ見せなかったから、痒いところへ届かせるその手の左利きをお定・・・ 織田作之助 「螢」
・・・容貌をかえた低地にはカサコソと枯葉が骸骨の踊りを鳴らした。 そんなとき蒼桐の影は今にも消されそうにも見えた。もう日向とは思えないそこに、気のせいほどの影がまだ残っている。そしてそれは凩に追われて、砂漠のような、そこでは影の生きている世界・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・口渇きし者の叫ぶ声を聞け、風にもまるる枯葉の音を聞け。君なくしてなお事業と叫ぶわが声はこれなり。声かれ血涸れ涙涸れてしかして成し遂ぐるわが事業こそ見物なりしに。ああされど今や君はわが力なり。あらず、君を思うわが深き深き情けこそわが将来の真の・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・おげんはその台所に居ながらでも朝顔の枯葉の黄ばみ残った隣家の垣根や、一方に続いた二階の屋根などを見ることが出来た。「おさださん、わたしも一つお手伝いせず」 とおげんはそこに立働く弟の連合に言った。秋の野菜の中でも新物の里芋なぞが出る・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・残雪の間には、崖の道まで滲み溢れた鉱泉、半ば出来た工事、冬を越しても落ちずにある茶色な椚の枯葉などが見える。先生は霜のために危く崩れかけた石垣などまで見て廻った。 この別荘がいくらか住まわれるように成って、入口に自然木の門などが建った頃・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・楢や樅の枯葉が折々みぞれのように二人のからだへ降りかかった。「お父」 スワは父親のうしろから声をかけた。「おめえ、なにしに生きでるば」 父親は大きい肩をぎくっとすぼめた。スワのきびしい顔をしげしげ見てから呟いた。「判らね・・・ 太宰治 「魚服記」
出典:青空文庫