・・・「やあ、こりゃ檀那でしたか。」――客は中折帽を脱ぎながら、何度も声の主に御時儀をした。声の主は俳人の露柴、河岸の丸清の檀那だった。「しばらくだね。」――露柴は涼しい顔をしながら、猪口を口へ持って行った。その猪口が空になると、客は隙かさず・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・「そら、そこに東枕にてもよろしいと書いてありますよ。――神山さん。一本上げようか? 抛るよ。失敬。」「こりゃどうも。E・C・Cですな。じゃ一本頂きます――。もうほかに御用はございませんか? もしまたございましたら、御遠慮なく――」・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・肩も脛も懐も、がさがさと袋を揺って、「こりゃ、何よ、何だぜ、あのう、己が嫁さんに遣ろうと思って、姥が店で買って来たんで、旨そうだから、しょこなめたい。たった一ツだな。みんな嫁さんに遣るんだぜ。」 とくるりと、はり板に並んで向をかえ、・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ししょう……もようもない、ほほほ。こりゃ、これ、かみがたの口合や。」 と手の甲で唇をたたきながら、「場末の……いまの、ルンならいいけど、足の生えた、ぱんぺんさ。先生、それも、お前さん、いささかどうでしょう、ぷんと来た処をふり売りの途・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・おや、おはまさんも繩ない……こりゃありがたい。わたしはまたせめておはまさんの姿の見えるところで繩ないがしたくてきたのに……」「あア政さん、ここへはいんなさい。さアはま公、おまえがよくて来たつんだから……」「あらアいやな」 おはま・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・「ウム面白いな、こりゃうまい。粽という名からして僕は好きなのだ、食って美味いと云うより、見たばかりでもう何となくなつかしい。第一言い伝えの話が非常に詩的だし、期節はすがすがしい若葉の時だし、拵えようと云い、見た風と云い、素朴の人の心其の・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・僕がアトへ残るのは知れ切ってる。こりゃあマジメだよ、君が死ねばきっと墓石へ書いてやる。森に墓銘を書かせろと遺言状に書いて置いてもイイ、」と真顔になっていった。 一度冠を曲げたら容易に直す人でないのを知ってるからその咄はそれ切り打切とした・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・「おい小男さん、もう夜が明けるよ。」と、電信柱がいった。「え、夜が明ける? ……」といって、妙な男は東の空を見ると、はや白々と夜が明けかけた。「こりゃたいへんだ。」といいざま、電信柱に飛びつこうとして、またあわてて、「や、危・・・ 小川未明 「電信柱と妙な男」
・・・「あのめくらの星は、ほんとうにかわいそうだ。」「毎夜、この下界の近くにまで降りてくる。もし、山や、森に突きあたったらどうするつもりだろう。」と、彼らはたがいに話し合いました。「こりゃ、おれたちが、あの星に注意してやらなけりゃなら・・・ 小川未明 「めくら星」
・・・「いや、贅沢といえば贅沢だが、しかしこりゃ僕の必需品なのだよ。珈琲はともかく、煙草がないと、一行も書けないんだからね。その代り、酒はやめた。酒は仕事の邪魔になるからね」「仕事を大事にする気はわかるが、仕事のために高利貸に厄介になると・・・ 織田作之助 「鬼」
出典:青空文庫