・・・そして、今夜帰るんですよ、日本へ。私はまた明日来るわけにいかないんだし、私のほかにこれを送り出してくれるものはいないんだから、辛棒して下さい。 ――そうですか。 女局員はほとんど日に一遍は彼女の前に現れていた丸い小さい日本女の顔を見・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・わたしが今夜願書を書いておいて、あしたの朝早く持っていきましょうね。」 いちは起きて、手習いの清書をする半紙に、平がなで願書を書いた。父の命を助けて、その代わりに自分と妹のまつ、とく、弟の初五郎をおしおきにしていただきたい、実子でない長・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・そのうちわたくしが奥さんに、「ねえ、テレエゼさん、わたし今夜はもう帰ってよ」と云うと、あなたがその奥さんの側を離れて、いなくなっておしまいなさいましたの。それからわたくしが料理屋の門口から往来へ出て、辻馬車を雇おうと思いますと、あなたが出し・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
村の点燈夫は雨の中を帰っていった。火の点いた献灯の光りの下で、梨の花が雨に打たれていた。 灸は闇の中を眺めていた。点燈夫の雨合羽の襞が遠くへきらと光りながら消えていった。「今夜はひどい雨になりますよ。お気をおつけ遊・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・という厳粛な問題の前にさえも、今夜の出来事のようにふるまうとすれば、私は自分を何と言って軽蔑していいかわからない。――けれども果たして私はその軽蔑に価するふるまいをしないだろうか。それほど私の腹は死に対しても据わっているだろうか。私にはそれ・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫