・・・ そこから彗星のような燈の末が、半ば開けかけた襖越、仄に玄関の畳へさす、と見ると、沓脱の三和土を間に、暗い格子戸にぴたりと附着いて、横向きに立って誂えた。」「上州のお客にはちょうど可いわね。」「嫌味を云うなよ。……でも、お前は先・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・そこが、野三昧の跡とも、山窩が甘い水を慕って出て来るともいう。人の灰やら、犬の骨やら、いずれ不気味なその部落を隔てた処に、幽にその松原が黒く乱れて梟が鳴いているお茶屋だった。――うぐい、鮠、鮴の類は格別、亭で名物にする一尺の岩魚は、娘だか、・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 凍った空気を呼吸するたびに、鼻に疼痛を感じながら栗本は、三和土にきしる病室の扉の前にきた。 扉を押すと、不意に、温かい空気にもつれあって、クレゾールや、膿や、便器の臭いが、まだ痛みの去らない鼻に襲いかゝった。 踵を失った大西は・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ それから少しきたない話ではあるが、昔田舎の家には普通に見られた三和土製円筒形の小便壺の内側の壁に尿の塩分が晶出して針状に密生しているのが見られたが、あれを見るときもやはり同様に軽い悪寒と耳の周囲の皮膚のしびれを感ずるのであった。 ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・内部は三和土のありふれた湯殿のつくりであった。盥が置いてあるのだが、縞のフランネルの洗濯物がよっぽど幾日もつかりっぱなしのような形で、つかっている。ブリキの子供用のバケツと金魚が忘れられたようにころがってある。温泉の水口はとめられていて、乾・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・ カタ、カタと足からぬがれて三和土に落ちる左右の靴の踵の音をさせて、好子が入って来た。「――小枝子さんもまだだったの? 私おそくなったと思っていそいで来たんだけれど……」 毎土曜の午後、多喜子は洋裁の稽古をしているのであった。・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・藍子が三和土に足を下す。改札口がぴしゃりと閉る。同時であった。藍子は二分のことで乗りおくれたのであった。それでも彼女は、「北條行もう出ましたか」と、改札口を去ろうとする駅員に念を押した。「出ました。この次は銚子行、七時二十分」・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・見ると、一匹の犬が、その使の若者と共に、三和土のところに坐っている。「まあ犬をつれて来たの?」「いいえ。どっかの犬がついて来て離れないんです」 使は程なく帰ったが、その犬ばかりは三和土から外へ出ようとしない。「サアもうお帰り・・・ 宮本百合子 「蓮花図」
出典:青空文庫