・・・ろくからびた刈株をわたッて烈しく吹きつける野分に催されて、そりかえッた細かな落ち葉があわただしく起き上がり、林に沿うた往来を横ぎって、自分の側を駈け通ッた、のらに向かッて壁のようにたつ林の一面はすべてざわざわざわつき、細末の玉の屑を散らした・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・とかくするうち夏の夕の空かわりやすく、雨雲天をおおいしと見る程もなく、山風ざわざわと吹き下し来て草も木も鳴るとひとしく、雨ばらばらと落つるやがて車の幌もかけあえぬまに篠つく如くふり出しぬ。赤平川の鉄橋をわたる頃は、雷さえ加わりたればすさまじ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・馬の腹がざわざわと薄の葉を撫でる。 そこを出ると水天宮の社である。あとで考えると、このへんで引き返しさえしたらよかったのに、自分はいつまでも馬の臀について、山畠を五つも六つも越えて、とうとお長の行くところまで行ったのであった。谷合いの畠・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・麦が、ざわざわいっている。何回、振り仰いでみても、星がたくさん光っている。去年のこと、いや去年じゃない、もう、おととしになってしまった。私が散歩に行きたいと無理言っていると、お父さん、病気だったのに、一緒に散歩に出て下さった。いつも若かった・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・つづいてざわざわの潮ざい、「身のほど知らぬふざけた奴。」「神さま、これこそ夢であるように。きゃっ! この劇場には鼠がいますね。」「賤民の増長傲慢、これで充分との節度を知らぬ、いやしき性よ、ああ、あの貌、ふためと見られぬ雨蛙。」一瞬、はっし!・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・しかし芝居のようなざわざわしている所がいちばん『忘れる』に適している。」 その翌日の記事には、「きのう芝居から帰りに、そばやしるこを食い過ぎたため胃のぐあいが悪い。学校を休む事にきめる。弟も休んでいる。絵をかいて暮らした。夜は末広亭・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・しかし深川の大通りは相変らず日あたりが悪く、妙にこの土地ばかり薄寒いような気がして、市中は風もなかったのに、此処では松かざりの竹の葉がざわざわいって動いている。よく見覚えのある深川座の幟がたった一本淋し気に、昔の通り、横町の曲角に立っていた・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・……顔の周囲を巻いている髪の毛が、先っきから流れる水に漬けた様にざわざわと動いている。髪の毛ではない無数の蛇の舌が断間なく震動して五寸の円の輪を揺り廻るので、銀地に絹糸の様に細い炎が、見えたり隠れたり、隠れたり見えたり、渦を巻いたり、波を立・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・○それで明治座へ行って、自分の枡へ這入ってみると、ただ四方八方ざわざわしていろいろな色彩が眼に映る感じが一番強かった。もっともこれは能とさほど性質において差違はないが、正面の舞台で女の生首を抱いたり箱へ入れたりしているのにその所作には一・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・吹く風に楡の木がざわざわと動く。見ると枝の上にも烏がいる。しばらくするとまた一羽飛んでくる。どこから来たか分らぬ。傍に七つばかりの男の子を連れた若い女が立って烏を眺めている。希臘風の鼻と、珠を溶いたようにうるわしい目と、真白な頸筋を形づくる・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
出典:青空文庫