・・・ 古い錦絵、紙人形、赤いつまみの櫛の歯の黒髪、これだけの間に切ってもきれないつながりがある様に――又その間からしおらしい物語りが湧いて来はしまいかと思われた。 雨のささやきに酔った様にお敬ちゃんは、机につっぷしてかすかな息を吐いて夢・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・初め奉公に来た時は痩せて蒼い顔をしていて、しおらしいような処があった。それがこの家に来てから段々肥えて、頬っぺたが膨らんで来た。女振はよほど下がったのである。 宿元は小倉に近い処にあるが、兄が博多で小料理屋をしている。飯焚なんぞをするよ・・・ 森鴎外 「独身」
・・・氏はそれを半ばぼかした屋根や廂にも、麦をふるう人物の囲りの微妙な光線にも、前景のしおらしい草花にも、もしくは庭や垣根や重なった屋根などの全体の構図にも、くまなく行きわたらせた。柔らかで細かい、静かで淡い全体の調子も、この動機を力強く生かせて・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・緑の葉は涙にぬれたようなしおらしい色艶を増して来る。雨のあとで太陽が輝き出すと、早朝のような爽やかな気分が、樹の色や光の内に漂うて、いかにも朗らかな生の喜びがそこに躍っているように感ぜられる。おりふしかわいい小鳥の群れが活き活きした声でさえ・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫