・・・専門の史家の鑑定に拠れば疑うべくもないものだ。で、高慢税を払わせる発明者は秀吉ではなくて、信長の方が先輩であると考えらるるのであるが、大にその税法を広行したのは秀吉である。秀吉の智謀威力で天下は大分明るくなり安らかになった。東山以来の積勢で・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・『厭世詩家と女性』その他のものを、北村君が発表し始めたのは女学雑誌であったし、ああいう様式を取って、自分を現わそうとしたという事も、つまりこの女学雑誌という舞台があったからだ。殊に雑誌が雑誌だったから、婦人に読ませるということを中心にして、・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・棚曝しになった聖賢の伝記、読み捨てられた物語、獄中の日誌、世に忘れられた詩歌もあれば、酒と女と食物との手引草もある。今日までの代の変遷を見せる一種の展覧会、とでも言ったような具合に、あるいは人間の無益な努力、徒に流した涙、滅びて行く名――そ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・父はその昔、一世を驚倒せしめた、歴史家です。二十四歳にして新聞社長になり、株ですって、陋巷に史書をあさり、ペン一本の生活もしました。小説も書いたようです。大町桂月、福本日南等と交友あり、桂月を罵って、仙をてらう、と云いつつ、おのれも某伯、某・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 私たちの世代にいたっては、その、いとど嫋嫋たる伝統の糸が、ぷつんと音たてて切れてしまったかのようである。詩歌の形式は、いまなお五七五調であって、形の完璧を誇って居るものもあるようだが、散文にいたっては。 抜けるように色が白い、・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・と言われたら、志賀直哉ほどの達人でも、ちょっと躊躇するにちがいない。出来のいい子は、出来のいい子で可愛いし、出来の悪い子は、いっそう又かなしく可愛い。その間の機微を、あやまたず人に言い伝えるのは、至難である。それをまた、無理に語らせようとす・・・ 太宰治 「自作を語る」
・・・原稿かいて、雑誌社へ持って行っても、みんな、芥川賞もらってからのほうが、市価数倍せむことを胸算して、二ヶ月、三ヶ月、日和見、そのうちに芥川賞素通して、拙稿返送という憂目、再三ならずございました。記者諸君。芥川賞と言えば、必ず、私を思い浮べ、・・・ 太宰治 「創生記」
・・・そのころの新進作家には、武者小路とか、志賀とか、それから谷崎潤一郎、菊池寛、芥川とか、たくさんございましたが、私は、その中では志賀直哉と菊池寛の短篇小説が好きで、そのことでもまた芹川さんに、思想が貧弱だとか何とか言われて笑われましたけれど、・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・てまいりましたが、こんどは、いかなる武器をも持ってはならん、素手で殴ってもいかん、もっぱら優美に礼儀正しくこの世を送って行かなければならん、というまことに有りがたい御時勢になりまして、そのためにはまず詩歌管絃を興隆せしめ、以てすさみ切ったる・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・ 志賀直哉という作家がある。アマチュアである。六大学リーグ戦である。小説が、もし、絵だとするならば、その人の発表しているものは、書である、と知人も言っていたが、あの「立派さ」みたいなものは、つまり、あの人のうぬぼれに過ぎない。腕力の自信・・・ 太宰治 「如是我聞」
出典:青空文庫