・・・「大衆の批判というものがどんなものか、我国の場合で考えても、志賀直哉と吉川英治を国民大衆の討議にかければ、後者が選ばれること論をまたない」と。 小原壮助が、社会機構や生活感情のすべての、まるでちがう「我国の場合」を躊躇なく例としてひいて・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・従来の文学的領野に於ては、依然として志賀直哉が主観的なリアリズムの完成をもって一つの典型をなしており、新しい作家たちが若しその道へ進むとして、志賀直哉を凌駕する希望というものは抱きにくい状態であったし、かつてバーナアド・ショウやゴルスワージ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・そのところに彼の文芸史家としてのフェータルなものがひそんでいる。この。ドストイェフスキーのロシア主義の分析こそ、ツワイクを活かすか死なしたかのポイントにふれている。○しかしこの場合ロシアとはいかなるものであるか。 ここでも ・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・ 画商との微妙な連関で自分の画の市価というものが定り、その相場が上ることで画家としての価値をきめられている清方、栖鳳、麥僊その他の日本画大家連は、この頃の経済的ゆきづまりで彼等の高価な絵を買う人が減っても絵の価を下げられず、従ってその標・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
・・・ 文学の分野では、日本古典の中にも何人かの婦人たちのかがやかしい足跡がある。詩歌と小説随筆とが、彼女たちの活躍の領域であって、文学評論の古典で、婦人の手になったというものはのこされていない。この点も今日の私たち女にはいろいろと考えさせる・・・ 宮本百合子 「婦人の文化的な創造力」
・・・と叫ばれ、「遂に、新しき詩歌の時」が来た。 日清戦争後に起った自然主義の移入は、過去の因習に反逆すると同時にこのロマンチックな人間性への憧憬をも蹴破った。人間生活の暗い半面、神性に対する獣としての人間が描かれはじめたのであったが、自然主・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・日本文化の華として、廟行鎮の武勇歌などに奨励され、中国では世界及東洋文学史の上に一つの足跡をのこす「われらは鉄の隊伍」の歌となって出て来ている。日本詩歌の形として自由律の意義とその将来について森山啓氏が八月の『日本評論』に「日本の詩はどうな・・・ 宮本百合子 「ペンクラブのパリ大会」
・・・とが Leroux なんぞと一しょになって、共産主義の宣伝をしても、Freiligrath, Herwegh, Gutzkow の三人が Marx と一しょになって、社会主義の雑誌に物を書いても、文芸史家は作品の価値を害するとは認めない。・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・おりおり詩歌など吟ずるを聞くに皆訛れり。おもうにヰルヘルム、ハウフが文に見えたる物学びし猿はかくこそありけめ。唯彼猿はそのむかしを忘れずして、猶亜米利加の山に栖める妻の許へふみおくりしなどいと殊勝に見ゆる節もありしが、この男はおなじ郷の人を・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・それに「二十四時間賜暇」と書いてあった。 それから押丁がツァツォツキイを穴倉へ連れて往って、胸の小刀を抜いてくれた。 ツァウォツキイは早速出発して、遠い遠い道を歩いた。とうとうノイペスト製糸工場の前に出た。ツォウォツキイは工場で「こ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫