・・・印刷局で働いて、拵え方を知っている者の仕業のようだ。一見すると使い古され、しわくちゃになっていた。しかし、よく見ると、手垢が紙にしみこんでいなかった。皺も一時に、故意につけられたものだ。 郵便局では、隣にある電信隊の兵タイが、すぐやって・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・全く泥棒のような仕業に、自分達だけをこき使う司令官を「馬鹿野郎!」と呶鳴りつけてやりたかった。 栗本は闇を喜んだ。殴られた馬は驚いてはね上った。橇がひっくりかえりそうに、一瞬に五六間もさきへ宙を辷った。アメリカ兵は橇の上から懐中電燈でう・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・気の弱い、根からの善人には、とても出来る仕業ではありません。敗北者の看板は、やめていただく。君は、たしかに嘘ばかり言っています。君は、まずしく痩せた小説ばかりを書いて、そうして、昭和の文壇の片隅に現われかけては消え、また現われかけては忘れら・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・しかし、それはいずれもこの老人の本気でした仕業ではなかった。謂わば道草であった。いまだにこの老人のひしがれた胸をとくとく打ち鳴らし、そのこけた頬をあからめさせるのは、酔いどれることと、ちがった女を眺めながらあくなき空想をめぐらすことと、二つ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・信仰とやらも少し薄らいでまいったのでございましょうか、あの口笛も、ひょっとしたら、父の仕業ではなかったろうかと、なんだかそんな疑いを持つこともございます。学校のおつとめからお帰りになって、隣りのお部屋で、私たちの話を立聞きして、ふびんに思い・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・ その若草という雑誌に、老い疲れたる小説を発表するのは、いたずらに、奇を求めての仕業でもなければ、読者へ無関心であるということへの証明でもない。このような小説もまた若い読者たちによろこばれるのだと思っているからである。私・・・ 太宰治 「雌に就いて」
月 日。 郵便受箱に、生きている蛇を投げ入れていった人がある。憤怒。日に二十度、わが家の郵便受箱を覗き込む売れない作家を、嘲っている人の為せる仕業にちがいない。気色あしくなり、終日、臥床。 月 日。 苦悩を・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・愛されるよろこびだけを求めているのは、それこそ野蛮な、無智な仕業だと思います。ラプンツェルはいままで王子に、可愛がられる事ばかり考えていました。王子を愛する事を忘れていました。生れ出たわが子を愛する事をさえ、忘れていました。いやいや、わが子・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・長男が中学校の始業日で本所の果てまで行っていたのだが地震のときはもう帰宅していた。それで、時々の余震はあっても、その余は平日と何も変ったことがないような気がして、ついさきに東京中が火になるだろうと考えたことなどは綺麗に忘れていたのであった。・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・同じ注に、欧州大戦のときフランスに出征中のアメリカ軍では驢馬のいななくのを防ぐために「ある簡単なる外科手術を施行した」とある。やはり西洋人は残酷である。 昨夜これを読んだけさ「南北新話」をあけて見ると夜の明けやすい白無垢は損・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
出典:青空文庫