・・・ はじめ清澄山で師事した道善房は凡庸の好僧で情味はあったが、日蓮の大志に対して善知識たるの器ではなかった。ただ蔵経はかなり豊富だったので、彼は猛烈な勉強心を起こして、三七日の断食して誓願を立て、人並みすぐれて母思いの彼が訪ね来た母をも逢・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・そして今のところ青年学生はこの知性主義を支持し、それが読書の方向を支配しているかに見える。 われわれはインテリゼンスの階層である読書青年が今その旺盛な知識欲をもって、その知的胃腑を満たし、また思考力を操練せねばならないとき、知性の拡充よ・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・で、自分の餌桶を指示して、 この餌を御使いよ、それでは魚の中りが遠いだろうから。 少年は遠慮した様子をちょっと見せたが、それでも餌の事も知っていたと見えて、嬉しそうな顔になって餌を改めた。が、僅に一匹の虫を鉤に着けたに過ぎなかったか・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・を言うな。だまって信じて、ついて行け。オアシスありと、人の言う。ロマンを信じ給え。「共栄」を支持せよ。信ずべき道、他に無し。 甘さを軽蔑する事くらい容易な業は無い。そうして人は、案外、甘さの中に生きている。他人の甘さを嘲笑しながら、・・・ 太宰治 「かすかな声」
・・・小説を芸術として考えようとしたところに、小説の堕落が胚胎していたという説を耳にした事がありますが、自分もそれを支持して居ります。創作に於いて最も当然に努めなければならぬ事は、「正確を期する事」であります。その他には、何もありません。風車が悪・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・この叔母は、私の小さい時から、頑強に私を支持してくれていた。 中畑さんのお家で、私は紬の着物に着換えて、袴をはいた。その五所川原という町から、さらに三里はなれた金木町というところに、私の生れた家が在るのだ。五所川原駅からガソリンカアで三・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・君の手紙のうれしかったのは、そんな秘れた愛情の支持者があの中にいたことだ。君が神なら僕も神だ。君が葦なら――僕も葦だ。三、それから、君の手紙はいくぶんセンチではなかったか。というのは、よみながら、僕は涙が出るところだったからだ。それを僕のセ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・なお、挿絵のサンプルとして、三画伯の花鳥図同封、御撰定のうえ、大体の図柄御指示下されば、幸甚に存上候。」 月日。「前略。ゆるし玉え。新聞きり抜き、お送りいたします。なぜ、こんなものを、切り抜いて置いたのか、私自身にも判明せず。今・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・父のお気に入りらしく、父も母も、それは熱心に、支持していました。お写真は、拝見しなかった、と思います。こんな事はどうでもいいのですが、また、あなたに、ふふんと笑われますと、つらいので、記憶しているだけの事を、はっきり申し上げました。いま、こ・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・小説家としての私の愚見も、あるいは、ひょっとしたら、ひとりの勇敢な映画人に依って支持せられるというような奇蹟が無いものでもあるまい。もし、そのような奇蹟が起ったならば、これもまた御奉公の一つだと思われる。どんな小さい機会でも、粗末にしてはな・・・ 太宰治 「芸術ぎらい」
出典:青空文庫