・・・私は医師の指定してくれた注意によって、毎日家から四、五十町の附近を散歩していた。その日もやはり何時も通りに、ふだんの散歩区域を歩いていた。私の通る道筋は、いつも同じように決まっていた。だがその日に限って、ふと知らない横丁を通り抜けた。そして・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ここにおいてか、剣術の道場を開て少年を教る者あり(旧来、徒士以下の者は、居合い、柔術、足軽は、弓、鉄砲、棒の芸を勉るのみにて、槍術、剣術を学ぶ者、甚だ稀。子弟を学塾に入れ或は他国に遊学せしむる者ありて、文武の風儀にわかに面目を改め、また先き・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
『徳育如何』緒言 方今、世に教育論者あり。少年子弟の政治論に熱心なるを見て、軽躁不遜なりと称し、その罪を今の教育法に帰せんと欲するが如し。福沢先生その誣罔を弁じ、大いに論者の蒙を啓かんとて、教育論一篇を立案せ・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・かつ我が儒者はたいがい皆、武人の家に生れたる者にして、文采風流の中におのずから快活の精神を存し、よく子弟を教育してその気風を養い、全国士族以上の者は皆これに靡ざるはなし。改進の用意十分に熟したるものというべし。」云々。 右の如く、我・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・ 烏江水浅騅能逝、一片義心不可東とは、往古漢楚の戦に、楚軍振わず項羽が走りて烏江の畔に至りしとき、或人はなお江を渡りて、再挙の望なきにあらずとてその死を留めたりしかども、羽はこれを聴かず、初め江東の子弟八千を率いて西し、幾回の苦戦に戦没し・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・少数の職業組合が旧教の牧師の下に立って単調な生活をしていた昔をそのままに見せるこう云う町は、パリイにはこの辺を除けては残っていない。指定せられた十八番地の前に立って見れば、宛然たる田舎家である。この家なら、そっくりこのままイソダンに立ってい・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・「士分の子弟」の智能開発が藩学校での目的であった。この性格は、士分のものが来るべき「開化」の担当者であるべきだという見通しに立ったものであった。そして、明治維新という不具なブルジョア革命は、事実ヨーロッパにおけるように市民による革命ではなく・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・自由学園に子弟をやったりする親たちの或る心持の満足は理解されるけれども。日本の音楽の成長の過程には一面にああいう道も辿らねばならないのであろうか。〔一九三九年八月〕 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・ このたびの大統領選挙が世界の視聴を集めたのは、デューイとトルーマンとのたたかいにおいて、アメリカ民衆の民主的な意志と、世界の平和的善意、理性とがどう反映するか、そこが見ものであるからだった。重大さはそのことにあったにもかかわらず、日本・・・ 宮本百合子 「現代史の蝶つがい」
・・・一九一四年度ロシアの中学校、実務学校、予備学校における学生の出身階級の分布 世襲貴族の子弟 六・三 貴族及高官 一八・四 宗教家 四・八 紳士及紳商 九・六 商人、組合の親方 三二・一・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
出典:青空文庫