・・・ 少年は、両親や、姉妹に別れを告げました。「私は、旅をして、りっぱな音楽家になって帰ります。」 そういって、彼は、故郷を立ち出たのです。 それから、彼は、あちらの町、こちらの町とさまよって、バイオリンを探して歩きました。・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・ 両親をはやく失って、ほかに身寄りもなく、姉妹二人切りの淋しい暮しだった。姉の喜美子はどちらかといえば醜い器量に生れ、妹の道子は生れつき美しかった。妹の道子が女学校を卒業すると、喜美子は、「姉ちゃん、私ちょっとも女専みたいな上の学校、行・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・そして、いきなり本当の病状を喋って仕舞いました。この時脈は百三十を越して、時々結滞あり、呼吸は四十でした。すると、病人は直ぐ「看護婦さん、そりゃ間違っているでしょう。お母さん脈」といって手を差出しました。私はその手を握りながら「ああ脈は百十・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・その出品は重に習字、図画、女子は仕立物等で、生徒の父兄姉妹は朝からぞろぞろと押かける。取りどりの評判。製作物を出した生徒は気が気でない、皆なそわそわして展覧室を出たり入ったりしている。自分もこの展覧会に出品するつもりで画紙一枚に大きく馬の頭・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・う節の巧みなる、その声は湿りて重き空気にさびしき波紋をえがき、絶えてまた起こり、起こりてまた絶えつ、周囲に人影見えず、二人はわれを見たれど意にとめざるごとく、一足歩みては唄い、かくて東屋の前に立ちぬ。姉妹共に色蒼ざめたれど楽しげなり。五月雨・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ところが源三と小学からの仲好朋友であったお浪の母は、源三の亡くなった叔母と姉妹同様の交情であったので、我が親かったものの甥でしかも我が娘の仲好しである源三が、始終履歴の汚れ臭い女に酷い目に合わされているのを見て同情に堪えずにいた上、ちょうど・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・彼女はまたよくそれを覚えていて、新七のにするつもりでわざわざ西京まで染めにやった羽織の裏の模様や、一度も手を通さず仕舞に焼いてしまったお富の長襦袢の袖までも、ありありと眼に見ることが出来た。もう一度東京へ――娘時分からの記憶のある東京へ――・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・六人ある姉妹の中で、私の子供らの母さんはその三番目にあたるが、まだそのほかにあの母さんの一番上の兄さんという人もあった。函館のお爺さんがこの七人の兄弟の実父にあたる。お爺さんは一代のうちに蔵をいくつも建てたような手堅い商人であったが、総領の・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・三人姉妹を読みながらも、その三人の若い女の陰に、ほろにがく笑っているチエホフの顔を意識している。この鑑賞の仕方は、頭のよさであり、鋭さである。眼力、紙背を貫くというのだから、たいへんである。いい気なものである。鋭さとか、青白さとか、どんなに・・・ 太宰治 「一歩前進二歩退却」
・・・この五葉の切りぬきを、貴方は、こっそり赤い文箱に仕舞い込みました。どうです。いやいや、無理して破ってはいけません。私を知っていますか? 知る筈は、ない。私は二十九歳の医者です。ネオ・ボンタージンの発明者、しかも永遠の文学青年、白石国太郎先生・・・ 太宰治 「虚構の春」
出典:青空文庫