・・・相懸り法は当時東京方棋師が実戦的にも理論的にも一応の完成を示した平手将棋の定跡として、最高権威のものであったが、現在はもはやこの相懸り定跡は流行せず、若手棋師は相懸り以外の戦法の発見に、絶えず努力して、対局のたびに新手を応用している。が、六・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・崖の路は暗くてただ一つ電柱についている燈がそのありかを示しているに過ぎなかった。そこを眺めながら、彼は今夜カフェで話し合った青年のことを思い出していた。自分が何度誘ってもそこへ行こうとは言わなかったことや、それから自分が執こく紙と鉛筆で崖路・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・「一筆示し上げ参らせ候大同口よりのお手紙ただいま到着仕り候母様大へん御よろこび涙を流してくり返しくり返しご覧相成り候」 何だつまらない! と一人の水兵が笑いだした。水野はかまわず、ズンズン読む、その声は震えていた。「ついてはご自・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・ 上村は言って杯で一寸と口を湿して「僕は痩せようとは思っていなかった!」「ハッハッハッハッハッハッ」と一同笑いだした。「そこで僕はつくづく考えた、なるほど梶原の奴の言った通りだ、馬鹿げきっている、止そうッというんで止しちまっ・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・と筆を投じて憤りを示したほどであったが、当時は順逆乱れ、国民の自覚奮わず、世はおしなべて権勢と物益とに阿付し、追随しつつあった。荘園の争奪と、地頭の横暴とが最も顕著な時代相の徴候であった。 日蓮の父祖がすでに義しくして北条氏の奸譎のため・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 憲兵伍長は、ポケットから、大事そうに、偽札を取り出して示した。「さあ、どうだったか覚えません。――あるいは出したやつかもしれません。」「どっから受取った?」「…………」 栗島は、憲兵上等兵の監視つきで、事務室へ閉めこま・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・彼等は、昼に、パンと乾麺麭をかじり、雪を食ってのどを湿した。 どちらへ行けばイイシに達しられるか! 右手向うの小高い丘の上から、銃を片手に提げ、片手に剣鞘を握って、斥候が馳せ下りて来た。彼は、銃が重くって、手が伸びているようだった。・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・もっとも某先生の助力があったという事も聞いて居ますが、西洋臭いものの割には言葉遣などもよくこなれていて、而して従来のやり方とは全然違った手振足取を示した事は少からぬ震動を世に与えて居りました。勿論あれが同じあのようなものにしても生硬粗雑で言・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・生命の焔は恐ろしい力で燃え尽きて行くかのような勢を示した。おげんは自分で自分を制えようとしても、内部から内部からと押出して来るようなその力をどうすることも出来なかった。彼女はひどく嘆息して、そのうちに何か微吟して見ることを思いついた。ある謡・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・私は、おまえたちと、いつ迄も一緒にいることが出来ないかも知れぬから、いま、この機会に、おまえたちに模範を示してやったのだ。私のやったとおりに、おまえたちも行うように心がけなければならぬ。師は必ず弟子より優れたものなのだから、よく私の言うこと・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
出典:青空文庫