・・・現にこの首府のまん中にも、こう云う寺院が聳えている。して見ればここに住んでいるのは、たとい愉快ではないにしても、不快にはならない筈ではないか? が、自分はどうかすると、憂鬱の底に沈む事がある。リスポアの市へ帰りたい、この国を去りたいと思う事・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・家風、主婦の心得、勤勉と節倹、交際、趣味、……」 たね子はがっかりして本を投げ出し、大きい樅の鏡台の前へ髪を結いに立って行った。が、洋食の食べかただけはどうしても気にかかってならなかった。…… その次の午後、夫はたね子の心配を見かね・・・ 芥川竜之介 「たね子の憂鬱」
・・・今でも確かゾイリアの首府には、この人の立派な頌徳表が立っている筈ですよ。」 僕は、角顋の見かけによらない博学に、驚いた。「すると、余程古い国と見えますな。」「ええ、古いです。何でも神話によると、始は蛙ばかり住んでいた国だそうです・・・ 芥川竜之介 「MENSURA ZOILI」
・・・ぶ都会人でも、あの屋根を辷る、軒しずれの雪の音は、凄じいのを知って驚く……春の雨だが、ざんざ降りの、夜ふけの忍駒だったから、かぶさった雪の、その落ちる、雪のその音か、と吃驚したが、隣の間から、小浜屋の主婦が襖をドシンと打ったのが、古家だから・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 四 さるほどに蝦蟇法師はあくまで老媼の胆を奪いて、「コヤ老媼、汝の主婦を媒妁して我執念を晴らさせよ。もし犠牲を捧げざれば、お通はもとより汝もあまり好きことはなかるべきなり、忘れてもとりもつべし。それまで命を預け・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・彼はラスプーチンのような顔をして、爪の垢を一杯ためながら下宿の主婦である中年女と彼自身の理論から出たらしいある種の情事関係を作ったり、怪しげな喫茶店の女給から小銭をまきあげたり、友達にたかったりするばかりか、授業料値下げすべしというビラをま・・・ 織田作之助 「髪」
・・・餅屋の主婦が共同便所から出ても手洗水を使わぬと覚しかったからや、と柳吉は帰って言うた。また曰く、仕事は楽で、安全剃刀の広告人形がしきりに身体を動かして剃刀をといでいる恰好が面白いとて飾窓に吸いつけられる客があると、出て行って、おいでやす。そ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・そこの主人も主婦さんも彼の顔は知っていた。 彼は帳場に上り込んで「実は妻が田舎に病人が出来て帰ってるもんだから、二三日置いて貰いたい」と頼んだ。が、主人は、彼等の様子の尋常で無さそうなのを看て取って、暑中休暇で室も明いてるだろうのに、空・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・それは彼がその家の寝ている主婦を思い出すからであった。生島はその四十を過ぎた寡婦である「小母さん」となんの愛情もない身体の関係を続けていた。子もなく夫にも死に別れたその女にはどことなく諦らめた静けさがあって、そんな関係が生じたあとでも別に前・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 大家の主婦に留守を頼んで信子も市中を歩いた。 三 ある日、空は早春を告げ知らせるような大雪を降らした。 朝、寝床のなかで行一は雪解の滴がトタン屋根を忙しくたたくのを聞いた。 窓の戸を繰ると、あらたかな日・・・ 梶井基次郎 「雪後」
出典:青空文庫