・・・戸外は月冴えて風はないが、骨身に徹える寒さに磯は大急ぎで新開の通へ出て、七八丁もゆくと金次という仲間が居る、其家を訪ねて、十時過まで金次と将棋を指して遊んだが帰掛に一寸一円貸せと頼んだ。明日なら出来るが今夜は一文もないと謝絶られた。 帰・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ 兵舎へ帰ると、一人で将棋盤を持出して駒を動かしていた松本が頭を上げてきいた。「いや。」「朝鮮人だそうだよ。三枚ほど刷った五円札を本に挟んで置いてあったそうだ。」「誰れからきいた?」「今、尿道注射に来た憲兵が云っとった。・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・「井伏の小説は、井伏の将棋と同じだ。槍を歩のように一つずつ進める。」「井伏の小説は、決して攻めない。巻き込む。吸い込む。遠心力よりも求心力が強い。」「井伏の小説は、泣かせない。読者が泣こうとすると、ふっと切る。」「井伏の小説・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・トマト、好きじゃないんだ、こんなトマトなどにうつつを抜かしていやがるから、ろくな小説もできない、など有り合せの悪口を二つ三つ浴びせてやったが、地平おのれのぶざまに、身も世もなきほど恥じらい、その日は、将棋をしても、指角力しても、すこぶるまご・・・ 太宰治 「喝采」
・・・僕がマダムのいれてくれたお茶を一口すすったとき、青扇はそっと立ちあがって、そうして隣りの部屋から将棋盤を持って来たのである。君も知っているように僕は将棋の上手である。一番くらいは指してもよいなと思った。客とろくに話もせぬうちに、だまって将棋・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・太宰様は、一年間に、原稿用紙三百枚、それも、ただ机のうえにきちんと飾って、かたわらに万年筆、いつお伺いしてみても、原稿用紙いちまいも減った様子が見えず、早川さんと無言で将棋、もしくは昼寝、私にとっては、一番わるいお客でございましたが、それで・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・この茶店の床几の上に、あぐらをかけば、私は不思議に蘇生するのである。その床几の上に、あぐらをかいて池の面を、ぼんやり眺め、一杯のおしるこ、或は甘酒をすするならば、私の舌端は、おもむろにほどけて、さて、おのれの思念開陳は、自由濶達、ふだん思っ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・○芸娼妓の七割は、精神病者であるとか。「道理で話が合うと思った。」○誰か見ている。○みんないいひとだと私は思う。○煙草をたべたら、死ぬかしら。○机に向って端座し、十円紙幣をつくづく見つめた。不思議のものであった。○肉・・・ 太宰治 「古典風」
・・・普通の小説というものが、将棋だとするならば、あいつの書くものなどは、詰将棋である。王手、王手で、そうして詰むにきまっている将棋である。旦那芸の典型である。勝つか負けるかのおののきなどは、微塵もない。そうして、そののっぺら棒がご自慢らしいのだ・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・昔は将棋を試みた事もあり、また筆者などと一緒に昔の本郷座で川上、高田一座の芝居を見たこともありはしたが、中年以後から、あらゆる娯楽道楽を放棄して専心ただ学問にのみ没頭した。人には無闇に本を読んでも駄目だと云ってはいたが、実によく読書し、また・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
出典:青空文庫