序山吹の花の、わけて白く咲きたる、小雨の葉の色も、ゆあみしたる美しき女の、眉あおき風情に似ずやとて、――時 現代。所 修善寺温泉の裏路。同、下田街道へ捷径の山中。人 島津正洋画家。・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・世間は既に政治小説に目覚めて、欧米文学の絢爛荘重なるを教えられて憧憬れていた時であったから、彼岸の風を満帆に姙ませつつこの新らしい潮流に進水した春廼舎の『書生気質』はあたかも鬼ガ島の宝物を満載して帰る桃太郎の舟のように歓迎された。これ実に新・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・二 さよ子は、草原の中につづいている小径の上にたたずんでは、幾たびとなく耳を傾けました。西の方の空には、日が沈んだ後の雲がほんのりとうす赤かった。さよ子は、電車の往来しているにぎやかな町にきましたときに、そのあたりの騒がしさ・・・ 小川未明 「青い時計台」
あてもなくさ迷い歩くというが、やはり、真実を求めているのだ。また美を求めているのだ。なぜなれば、人間は、この憧憬がなければ、生きていられないからだ。 あわれなる流浪者よ、いったい、どこに、その真実が見出され、美が見出されるというの・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・私自身にとっても、憧憬、煩悶、反抗、懐疑、信仰、いろ/\と、心の推移と、其の時代々々の思想と生活の異った有様とを顧みて、それ等をあり/\と目の前に描くことができます。 何といっても、私が最も、年齢について、悲哀を感じたのは、その三十の年・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・従って、その地方の子供達が海洋に対する空想、憧憬は、決して同じいものではなかったばかりでなく、これに対する愛憎、喜悲の感情に至るまで、また同じいとはいえなかったでありましょう。 それであるから、概念的に、ただ海といっても、すべての子供達・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・ かくの如きは、人類の努力と憧憬とによってはじめて到達する理想の社会であります。またこの社会を矛盾と醜悪の現実の彼岸に幻に描くことによって、私達の生活は頽廃と絶望から救われ、意義あるものとされているのであります。 何を措いても児童た・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・ 右肩下りの背中のあとについて、谷ぞいの小径を歩きだした。 しかし、ものの二十間も行かぬうちに、案内すると見せかけた客引きは、押していた自転車に飛び乗って、「失礼しやして、お先にやらしていただきやんす。お部屋の用意をしてお待ち申・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・その柵と池の間の小径を行くのだが、二人並んで歩けぬくらい狭く、生い茂った雑草が夜露に濡れ、泥濘もあるので、草履はすぐべとべとになり、うっかり踏み外すと池の中へすべり落ちてしまう。暗い。摺り足で進まねばならなかった。いきなり足を蹴るものがある・・・ 織田作之助 「道」
・・・ たとえばそれを故のない淡い憧憬と言ったふうの気持、と名づけてみようか。誰かが「そうじゃないか」と尋ねてくれたとすれば彼はその名づけ方に賛成したかもしれない。しかし自分では「まだなにか」という気持がする。 人種の異ったような人びとが・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫